散歩の効能

去年の12月にかいたもの。

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 余り気分が優れなかった。

 明日間違いなく残業で終電近くまで帰れないことが解っている今、ただでさえ休み終わり日曜の夜の気分がいいわけがなかった(何より面倒臭いのは残業ではなくその残業の内容なのだが)。休みがあるだけましと言えばましだ。仕事なのだから仕方ないし、一々沈んだり憂鬱になっても仕方無い……とは言え、よくないものと比較して自分を慰めるのは好きではないし、そういう気分を切り替えるのは中々難しいものだ。

 けれど、そんな鬱々した気分に酔っても仕方無い。とりあえず気分転換に散歩に出かけることにした。が、玄関を出てすぐに後悔。寒い。

 ここで引き下がったら負けだ。何に負けるのかも、勝つのかも分からないまま「ホットの缶コーヒーを買って、近所の公園で一服して帰る」そう決めて歩き出した。

 流石に日曜の24時を廻ると歩く人は殆どいない。途中の自動販売機で缶コーヒー買って手の中で転がしながら夜の住宅街を歩く。吐き出す息は、ずいぶん長い間白く残って尾を引いていく。

 公園は、しんと静まり返っていた。寒い方が静けさに力があるような気がする。物理で以前、音と気温の関係について習った気もするが、それが関係するかは分からないし、そもそもそれがいったいどんなものだったかすら忘れた。そういえば、物理も化学も得意じゃなかったなあ。

 目的のベンチに座って、煙草に火をつける。カイロ代わりにしていた缶コーヒーを開けて一口飲む。温かい液体が食道を通って胃に落ちるのを感じる。砂糖の味しかしないコーヒーが無性に美味しかった。

 冬だなあ、と煙を吐きながら思う。吐き出す煙の白はどこまでで、どこからが息の白なのか解らない。その息を追って上を見ると、空には星が瞬いていた。

 地方と比べると東京の空の星は圧倒的に少ない。とはいえ、都心部でもない限り冬になればそれなりに星も見えるものだ。オリオン座を空に見つけて、そこから冬の大三角形を探す。中学の頃から繰り返している癖みたいなものだった。冬の空を見上げると、必ずオリオン座を探してしまう。そしてオリオン座を見つけると、冬の大三角を。特に大した意味はない。冬の星で知っているのがその二つしかないというだけの話なのだけど。

 オリオン座のベテルギウス、オオイヌ座のシリウス、コイヌ座の……なんだっけ。ベテルギウスを頂点とした三角形の、左下の角に当たる星の名前が思い出せなかった。

 なんだっけな。ぼわあっと煙を吐き出しながら考える。暫く考えてみたがやはり思い出せなかった。

 思い出せない星を眺めながら、やっぱり煙草は冬の方が美味しいなあ、と思う。それは湿度の所為か、気温の所為か、はたまた煙草を吸い始めたのが冬だったからか。

 初めて煙草を吸い始めた日を思い出す。あの日も、星が綺麗な夜だった。空気がパキパキと音を鳴らすような寒い夜。いつもの川沿いのベンチ。川の流れる音、遠くに聴こえる環状線を走る車の騒音。寒さに縮こまりながら、煙草を吸った。むせもしなければ、目眩もなかった。けれど美味しいとは思わなかったし、当然、煙草を吸ってみたところで何かが変わったりはしなかった。あの日も、オリオン座を見つけて、冬の大三角形を追った。その繰り返す癖が、そうして落ち込む自分と過去を比較させて、泣きたい気持ちになっていたっけか。

 煙草を吸ったら少しは何かが変わるかもしれない。くだらない発想だったけれど、そんな下らない発想にすらすがりたくなるくらい、あの頃どうしたらいいのか解らなかった。理屈ばかりこねまわして、理由をつけて、色々なものをややこしく複雑にして途方に暮れていた(それは、今も余り変わっていないような気がする)。背負う必要のないものまで背負ったつもりになって、勝手に潰れそうになっていた。けれど、きっとただ ―― そう、ただ、「寂しかった」のだ。それが伝わる言葉かどうかは別としても、どんなに沢山の言葉で説明するより、その短いたった一つの言葉が表現してしまう。

 寂しかった。そして、それを認められず、吐き出せないくらいに臆病だった。

 苦笑いしたくなる記憶だが、馬鹿には出来ない。あの頃の自分が、今の自分に与えた影響の大きさを考えると、どうしても。……とはいえ、苦笑いしたくもなるし、馬鹿にもしたくなる。どうしてそんな簡単なことが分からなかったのだろう、と。けれど、それは過ぎた今だからこそ言えることだ。簡単なことほど見失うと見えなくなってしまうし、それはきっと今だって同じだ。

 もうあれから何回冬が来ただろう。指を折って数えて見る。思ったよりも指を折る数は多かった。そりゃ星の名前も思い出せなくなるわけだ。まあ、毎年冬来てるから全然関係ないけど。

 短くなった煙草を、最後に一吸い。携帯灰皿に吸い殻を落として蓋を閉める。

 やっぱり冬に吸う煙草は美味しい。それは湿度の所為か、気温の所為か、はたまた煙草を吸い始めたのが冬だったからか。冬になる度そんなことを思うけれど、結局理由は解らないままだ。きっと冬にまつわる諸々全てが冬に吸う煙草を美味しくするのだろう。大体そんな風に結論づける。理屈や理由なんて実際はどうでもいいのだ。夜中にふらふらと散歩が出来て、煙草が美味しいのだから。理由なんてなくたって、筋が通らなくたって、それだけで十分に幸せなことだ。

 それに今はもう、寂しくない。

 ぬるくなった缶コーヒーを一気に飲み干して、ゴミ箱に放る。缶は綺麗な放物線を描いて、縁に弾かれ明後日の方へ飛んだ。

 ……おい、ここは入るところだろ。それでちょっと気分良くなって、明日もなんとか頑張るか。ってなるとこだろ。空気読めよ。心の中で自分勝手に毒づきながら拾って捨てる。溜息を吐いて空を見る。冬の大三角形の一つの星はやっぱり思い出せない。

 ……いや、ここも思い出すところだろ。それで何か気分すっきりみたいになって、明日もなんとか頑張るか。ってなるところだろ。空気読めよ。心の中で自分勝手に毒づきながら家路に着く。

 明日は相変わらず面倒だし憂鬱だった。それはそうだ。面倒なもんは面倒だし、憂鬱なもんは憂鬱だ。どうしようもない。

 でも本当、なんだっけな星の名前。喉の辺りまで出かかっている、もどかしい感覚。

 明日の憂鬱さより、思い出せない星の名前の方が重要だ。なんて思える程度には、散歩に効果はあったようだ。

 それにしても、なんだっけな。名前。