バイクの排気音うるさくするのと変らん気がした。

 今住んでいる都内の家は大きな通りのすぐ近くなのだけど、車の騒音はあんまりない。玄関が道路側だから、というのもあると思うけど、窓を開けていてもやっぱりあまり車やバイク等々が走る類の音は滅多にしない。なのだけれど、時折とんでもない音量のバイクの排気音が聞こえることがある。暴走族がだすようなあれを想像して貰えば分かりよいかと思う。音の聞こえる感じからするに、結構低速で走って、その爆音をご近所にゆっくりとお届けしているらしい。とは言っても聞こえてくる音からすると台数は2、3台といったところで、暴走族を引き合いに出すのも申し訳ない具合なのだが、道路沿いで聞かされたらけっこう嫌になるくらいの音量ではあるだろうと思う。そういう爆音宅急便を、いまいち頻度は謎だが、少なくとも月に一回くらいは耳する。もしかしたら毎回同じ人なのかもしれないし、毎回違う人なのかもしれないけれど、今まで一度もその姿を見たことはないのでそれはなんともいえない。今日もひたすらjjjjj、l、jjjj、l、Shift+rなどとしているとその爆音宅急便が届いた。でふと思ったのだけど、あれはなんかインターネットで見かけるものと似てると思った。私をもっと見ろー!というような。いや、知らんけど。バイクうるさくして走らせる気持ちは全然分かんないんだけど、私をもっと見ろーということであれば、つまり、その発露の仕方が違うだけなら、それは分かるなーって思って、思ったんだよ。知らないけどな。全然。ある人はバイクの排気音でそれをアピールしたり、ある人はインターネットでアピールしたりすんだろうなーって思ったんだよね。まあ全然違うかも知れないけど。

 実は今日書きたかったのはこれだけで、他に特に書きたいこととかなかったし、だからなんだってことなんだけど、なんとなく、140字という制限がないところで書きたいなーと思ったんだよねー。あとは、なんか全然違うかも知れないことを書きたかったというのもあるんだよ。こう思いましたっていう。それは全然間違ってて、見当違いかも知れないんだけど、そういうことだけど、でもそう思ったってことを書きたいなーって思ったんじゃないかって、今思った。だから多分これは後付けなんだけど、ようするになんか適当な文章を書きたかったのだろうと思う。まあいっつも文章とか適当にしか書いてねえけどなー。

 そういえばどうでもいい事書いたついでにどうでもいいこといくつか書くけど、今日ふと昨日読んだ漫画が面白かったーってことTwitterで書こうかなーって思ったんだけど、ある理由でそれをやめたの。で、その理由ってのも、その理由と同じ理由で書きたくないから書かないんだけど、それがなんかすげーやだなーって思った。書けないからもう全然意味分かんないんだけど、嫌だなーって思ったことを書きたかったです。

 あと最近思ったことなんだけど、やっぱり時間経てば人も環境も色々変わるよなーと思った。なにを当たり前のことを、という感じなのだけど、なんかそういうことを思うことがここ一年くらい多かった。自分も含めて、人も、環境も、少しづつ変わっているのだなーという。別にそれでだからどうってことは、ないとはいえないんだけど、でも、まあそういうものなんだなーとは思ってて、そこには色んな感情が入り交じる。嬉しいもあるし、悲しいもあるし、でもなんかちょっとどっか諦めというか、やっぱり、そういうものだよなーというのが一番近いのかな。

 それから、去年の大分前の話になりますが、海外に行ったのと、海に続く坂道見に行ったときにカメラ欲しいなーって思ったのが高じて一眼レフ買ったんだけど、思いの外カメラ買ったのだから出かけよう、みたいな意志が生まれたのが自分にとってよかったなーって思った。冬は寒いから出かけないけど(寒いのはまじで嫌いだ)、また暖かくなったらどっかに写真とりにいこうと思ってる。私は結構多趣味で、色んなもの手を出してはやめたりしてて、そういうのすごい嫌だなーって思ってたんだけど、30近くなってきて別にそれでもいいかーって思うようになってきた。これも変化の一つなのだけど。カメラもいつか埃被るかも知れないんだけど、まあそれでもいいかーっていう。だってそれのどこが悪いの。なんかしんないけどそれはよくないことだって思ってしまう心理が(今もどっかに)あるんだけど、それははっきりいって糞だなって思う。まじで糞。ファッキンシットだよ。まあ、続けないと分からないことってあるから、そういう意味でもったいないな、とは思うんだけど、でもとりあえず今のところは全然分からないけどカメラもってどっかに行くのは楽しいし、写真すこし学ぼうとは思えていて、それは自分にとっていいなーって思うし、それだけで最高じゃねえかって思う。かりに続かなくても。プロになりたいわけでなしに。人生を楽しむための手段は、多くて損なんかしない。

 なんか人生を楽しくする言葉と、人生をつまんなくする言葉(うおお、胡散臭い)みたいなものが多分あるなって思うようになったんだけど、私はけっこう後者を自分に対して使いがちな人間だと思う。例えば上記の「どうせお前カメラ買ったって一年後には埃被ってるよ」みたいなそういう感じの言葉。そういう言葉って、そういう可能性は確かにあって、あるのだけど、でも別にだからなんだっていう。だからなんだって言葉なんだけど、なんかすごく嫌な気分にさせる、本当ににつまんない、糞ほどつまんない言葉だと思う。何かを始めようとするとき、何かをしているとき、なにかの結果にたいして、そういう思考や言葉って本当にものごとをつまらなくしてしまう。これはね、本当になんにも、なんっにもいいことがない。少なくとも私の人生では一度たりともいいことはなかった。だからやめようって気をつけようって思ってんだけど、すげえ難しい。これが比較的当たり前の環境にいて、これがおかしいことなんだと気付くのに随分時間がかかったな、と思う。それでも気付くまでと比べたら、根付くまではもっと難しいし、時間がかかるのだろうと思う。私はきっと今も無意識でこれを自分に他人にしてしまっているし、それは本当に糞だなって思うし、そこに関しては自己嫌悪を許したいくらい憎いが、それでもやっぱりそう簡単にはいかないのだろう。そういうものなのだろう。だから私は、自分が吐いたそういう言葉にもっともっと敏感になる必要があるし、他人が吐いたそういう言葉には鈍感になる必要がある。もっと早く気付けていたらよりよかったけれど、今気付けてよかった。これ、思っていて書かなかったことの一つだな。書けてよかった。

 どっかでこれ、もっと上手く書いた文章読んだなって書きながら思ってたんだけど、見つけた。こっちのほうがよほど上手に的確に書けているので是非こちらを読んで欲しいです。

 平民金子のインタビュー(68件)
 「先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分を何者だと考えますか?」
 http://theinterviews.jp/heimin3/1762582 

 本当にこの通りで、なんかもう私の書いた文章とかなんだって思うんだけど、まあ書いたから一応残すけど、ほんとうこれなの。この「ブレーキになる言葉」ってやつ。私はこれを、自分にも、そしてなにより他人に、言う人間になりたくないのです。

 とかなんとかまあ結局色々書いたけどもうなんかまとまらなそうなので終わる。でも最後に一番最初の話に戻るんだけど、こういうブログみたいなものも、やっぱりある意味ではバイクの排気音めっちゃうるさくするのとあんま変わらないなーと思ったよ。全然違う気もしてるけど、なんとなく、通じる部分はある気がする。それの正誤とかについては面倒だから考えないけどさ。