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No reply. It probabuly just dead.

なんか思ったこと

 一番初めの記事かなんかにちらっと書いたが、ここ1年半ほど、別のところでブログを書いていた。

 先月頭、過疎って(動詞)いたそのブログサービスは、なんの前触れも、アナウンスもなくサービスを停止した。端的に言うと、アクセス出来なくなった。404。NotFound。

 サーバダウンか何かだろうと気長に待っていたものの、『返事がない。ただの屍のようだ』状態が余りにも長いから、多分終わりの時を迎えたのだろうと思う。非営利のサービスだったから、いつかこういう時が来てもおかしくないとは思っていた。

 まったく、終わりはいつだって唐突にやってくる。

 くだんのブログを始めたのは、2009年の1月だった。始めた理由はいくつかあるが、大きく言えば、誰もリアルでの自分を知らない場所で文章を書きたい。というのが多分一番の理由だった。

 それから約1年半の間に、100強の記事を書いた。個人的なことから、社会的なことまで、書きたいことを書きたいように書いた。

 そうして文章を書いていく過程で、コメント欄を開放する以上、誰かからのコメントがあり、それに対するレスがあった。
そこにはmixiではまず得られないような意見があった。肯定否定に関わらず言えることだけど、それは自分にとってとても嬉しいことだった。
 mixiではないところで文章書く、一つの理由がそこにあった。

 そうして文章を発信し、受信し、言葉のやりとりを続けていくうちに、不思議なもので、やはり繋がっていってしまうのだな、と思う。よく来てくれる人や、よく見に行く人、少しづつ少しづつ関係が密になった。やがてメッセやメールでやりとりをするようになり、何人かの人とは現実に会って話をしたりもした。

 きっとこうして文章を書いていなければ、到底出会うことのない人たちだった。それら出会いは、自分の世界を間違いなく広げてくれた。

 人生においての出会いの多くは、恐らくその人が属す集団に依存するように思う。例えばそれは学校であり、職場だ。インターネットの各種サービスも、それら「集団」の一つとして数えることが出来るだろう。その中でもインターネットの各種「集団」は多様性に満ちているし、かなり気軽に所属脱退が可能という点では抜きんでているように思う。(とはいえある程度はそれでも限定はされるだろうけれど、比較すれば、というくらいの意味)

 自分が所属していたそのブログサービスは、規模はそこまで大きいものでは無かったけれど、その分「濃密な何か」を持った人は多かった。そこで知り合ったある人は、「玉石混交」という言葉であの場所を表現していた。成程確かにそうだ。あの場所には不思議な何かがあった。

 そういう場所で文章を書けたことは、きっと幸せなことだったと思う。少なくとも、あの場所で文章を書いたからこそ学べたことは沢山あった。それは何も「文章」というそれだけに限らず言えることだ。

 親しくなった人とは直接連絡する手段を持っているけれど、うち何人かの人とはどう連絡を取ればいいのか解らないままだ。いや、きっと辿れば連絡先くらいは知ることは出来るのだろう。

 けれど多分それはしない。

 きっと自分にとって残念なのは、関係の断絶それ自体よりも、そこで読めた筈の文章がもう読めなくなってしまったことなんだろう。あそこにいた人達の目で見える世界を、覗くことが出来なくなったこと。それは、やっぱり少しだけ哀しい。

 実は、未だに「終り」を上手く実感できていない。いつか、ふとした時に復活するんじゃないかなあ、と、思えてしまうのだ。余りにも唐突だったし、何のアナウンスもない以上、それが終りだとは断定が出来ない。

 やっぱり「終り方」は大切だ。終る時は、ちゃんと「終る」べきなのだ。そこをしっかりしないと、次、に進みづらくなる。

 本来はブログサービスがブログサービスとして、しっかりと「終る」べきだったのだ。映画のあとに、エンドロールが流れるように。
だって
エンドロールが流れる前に席を立つなんて、後味が悪いじゃないか。

まあ、『エンドロールのない映画』という言葉の響きはそんなに嫌いじゃないけどね。


どうでもいいけどタイトルは、『返事がない。ただの屍のようだ』の英語訳ってこんなかなって思って書いた。

Listened Music : 『How to be dead』 / Snow Patrol
Dead繋がりで。
http://www.youtube.com/watch?v=mQ-Cv8Q-pu8&feature=related