禁煙をしている。

 禁煙をしている。半年強経つが「禁煙した」と過去系ではまだ書けない。「煙草をやめた」とももちろん言えない。「禁煙」は現在進行形の状態なので、現在は喫煙者と非喫煙者の間を不安定に漂っているような状態なのだと思う。禁煙を始めたのには一応理由があると言えばあるのだけれど、そこまで強い決意でもって禁煙を始めたわけではない。なんとなくやってみるか、という程度の気持ちで始めた。ら、思ったよりも続いている。どこまで続くのかは分からないけれど、そもそものきっかけになったことが覆った場合、やめる理由が消えるので、禁煙もやめるかもしれない。少なくとも、煙草が嫌いになったとか、自身の健康を気づかったとか、そうしたことが理由ではない。

 煙草を吸いたいなあと思うときは今もある。禁煙初期のころに比べると頻度は格段に減ったが、これもニコチン中毒による禁断症状なのだろうか、なのだろう。実に難儀なことだ。ただ、一番きついなあと感じるのは恐らくニコチンを摂取できないことではなくて、「喫煙」という行為ができないことだ。つまり、煙草をとりだし、咥えて火をつけ、煙を吸ったり吐いたり、灰を落としたり、もみ消したりする、そうした行為ができないことがつらい。喫煙をしていたころを思い出してみると、おそらくニコチンの摂取を目的とした喫煙よりも、行為を目的とした喫煙のほうが本数は多かったように思う。習慣を変えるというのは難しいことだ。代替手段があればいいのだが、今のところ見つかっていない。電子煙草のようなものも試してはみたが、どうにもしっくりこなかった。今のところ、爪楊枝を噛むのが一番気がまぎれるが、まぎれるだけでしかないし、あまり外で爪楊枝を齧っているわけにもいかない。

 今のところ喫煙をやめたことによる身体変化はあまりないが、感じていないだけであるのだろうか。今のところ目に見えて分かるような変化はなにもない。強いて言うなら、我慢している、というのが禁煙して変化したことだがそういうことじゃない。飯が美味くなるとか、息が切れなくなるとか聞いたけれど、今のところはよくわからない。煙草を吸っているときも、禁煙をしている今も、変わらずに飯は美味いし、息の切れに変化はない。なんか劇的に、うおお体軽い!はっぴー!となればいいのだけれど。ただ、うおお!体軽い!はっぴー!となるということは普段は体軽くないからそうなるのだろうし、事実、体軽いはっぴー状態は年に数回あるかないかである。もともとの体の問題なのだろう。

 そういえば、禁煙したことを自分からは話さないようにしている。喫煙者は煙草吸っちゃえばいいじゃん、と冗談で誘惑してくるくらいで特に害はないが、煙草を嫌っている人が「仲間」みたいな感じで話をしてくるのが面倒くさい。禁煙してはいるけど別に煙草を嫌いになったわけでもないし、喫煙者を憎んでいないし、やめることをやめるかもしれないし、もっというと良し悪しなんてどうでもいいのだが、どうにも煙草というのは坊主憎けりゃ袈裟までみたいなところがあるようだ。ただ、健康被害については知らんが、臭いと煙そのものは鬱陶しい。飲み会の後、髪についた煙草の臭いとかほんと糞だし、これから美味しい飯を食おうって時にもくもくと煙草煙ってるのも糞。これは煙草を吸っているときからそう思っている。色々な場所は禁煙がデフォルトで、喫煙できる場所はサービスとして提供されるものになるのだろう。

 しかし、十年以上続けてきた習慣の一つをやめることは、ニコチン中毒云々を脇においても容易ではない。煙草を吸い始めたのが冬だったせいか、寒くなって息が白くなるとことさらに煙草を吸いたくなる。煙草は暑い夏よりも、寒い冬の乾燥した空気の中ですう方が旨いと思っているのだけど、おそらく気分の問題だろう。吐く息の白さと、煙の切れ目が分からなくなると、冬だなあ、と思ったものだった。さまざまな記憶やことものと煙草が結びついている。煙草が吸えないことは、そういう意味でも、少しだけ寂しい。

Henning Schmied「Walzer」

 Henning Schmiedtの新しいアルバムが出た。発売日に届くようにAmazonで予約をしていたのだけれど、結局届いたのはその翌日だった。誰かの新譜がでることを楽しみに待ったのは、久しぶりな気がする。そしてその新譜がとてもよかったのも。

 アルバムについての概要を、公式レーベルのホームページから引用する。

『Schnee(=雪)』『Spazieren(=散歩)』『Wolken(=雲)』と傑作ソロピアノ作品をリリースしてきたピアニストHenning Schmiedtがワルツにインスピレーションを受けてレコーディングしたというニューアルバム。
ワルツのリズムを軸にして、ステップを踏むように、流れるように瑞々しいメロディーの数々が舞い踊る。あるカップルのために書かれたというウェディングソング「hochzeitslied」、前回の来日公演でも披露された「fernblau」など、過去3作で外へと向かっていたHenningが、ピアノの部屋に戻ってシンプルな旋律の強さに向かい合って作ったという、切なくノスタルジックなアルバムに仕上がっています。

flau records/walzer http://flau.jp/releases/51.html

 

 過去の作品も素晴らしい作品ばかりだけれど、今回のこのアルバムはまた一段とよい作品に仕上がっている。まず、聴いてもらうのがなによりだと思う。

 

 

アルバムから一曲。

 

 音楽を言葉で表現するのはとても難しい。厳密には不可能だろう(そもそも、言葉でなにかを完全に説明することはできない)。けれど、それでも言葉にしたくなる。なんて優しい音なんだろう。そっと寄り添うような、その温もりまで感じられるような。

 

 これは飽くまで自分がそう感じる、という話でしかないのだけれど、このアルバムの曲はどれも、とても内的でパーソナルなものに感じる。紹介文にあった『過去3作で外へと向かっていたHenningが、ピアノの部屋に戻って』ということがそういう意味であるのかは分からない。でも、このアルバムの曲は、大切な人や、大切な時間や空間、愛すべき日常を思って奏でられているように思えるのだ。だって、ピアノの一音一音に愛が溢れている。

 

 音楽を言葉にしようとすることはある意味では愚かなのだろう。でも、このアルバムをとてもよかったと思ったことを、聴いて感じたことを、書いておきたかったし、誰かに伝えたかったのだ。

 

Walzer

Walzer

 

 

 今年は「夏の終わり」と呼べるような期間がないままに夏が行ってしまった。自分の中での「夏」は八月一杯で終わりだ。それ以降の、夏が少しづつグラデーションを描きながら秋に変わっていく微妙な期間(秋彼岸が終わるまで辺りだろうか)を、夏でもなく秋でもなく、「夏の終わり」と呼んでいる。暦的な正確さは置いておいて、初秋とか晩夏というのも、実際の気温等々から考えればこの辺りを指してよさそうなものではあるが、個人的にこの時期は「夏の終わり」と呼ぶのがしっくりくる。そういえば「残暑」という単語があるが、「残夏」という表現がもし許されるなら(辞書には存在しなかった)それもよい気がするな。まあ、とにかく、今年はそうした「夏の終わり」と呼べそうな期間がないまま、雨やら台風やらが続いて、あっというまに夏が死んだ。そして、それをとても残念だと思っている。一年で一番好きなのは五月だけれど、一年で一番切なくて美しいのは、きっと夏の終わりだと思う。異論は認める。どうでもいいのだけれど、夏が八月で終わるというこの感覚は、夏休みが八月いっぱいで終わっていたことと無関係ではないような気がする。根拠はまったくないし、根拠など必要としていない。

 秋は終わっていく季節だ、と以前Twitterで呟いたのだけれどもう一度書く。秋は英語で"fall"または"autumn"と言う。その片方である"fall"は、"fall of the leaf"、つまり「落葉」に由来している。実に詩的な由来であるが、"fall"は秋という季節をよく表しているように思う。由来の落葉はもちろん、日毎早まる落陽や、下がる気温など。秋は、落ちゆく、沈みゆく、終わりゆく季節なのだ。「夏の終わり」は、そうした「終わりゆく季節」の始まりでもあって、つまり「終わりの始まり」でもあるのだ。だから、夏の終わりには余計に感傷的になってしまうのかもしれない。(何がどう終わるのだ、と問われると明確に答えるのは難しいけれど、春を始まりとした一年の終わり、というような感覚でいる)

 大学生の頃から、秋になると気持ちの平均線まで諸々と一緒に下がる。理由はよくわからない。日が短くなるからなのかもしれないし、気温が下がるからなのかもしれないし、夏休みが終わってしまうからなのかもしれないし、その全てかもしれないし、そのどれでもないのかもしれない。原因は不明だが、とにかく秋にはそうして気分が落ち込むので、秋という季節が少しだけ苦手だ(毎年秋になるとどこかしらでこのことについて書いているので余程なのだろう)。とはいえ、大学の頃と比べるといくらか落ち込みの度合いは軽減されており、その理由はなんとなくわかっている。目を逸らす方法を、ないしは、距離を取ることを覚えたのだ。目の前にあること以外のもろもろから。

 自分が望んでそうしたのか、自然とそうなったのかを判断することは難しい。ただ、恐らくは両方だろうと思う。自分にはそれが必要だったのだ。その代わりに失ったことについて考えることはしない。それは目の前ではなく、後ろにあるものだ。

 九月に入ってからしばらく冴えない天気が続いていたけれど、今日はとても気持ちの良い天気だった。日中は陽の当たる場所にいると少し暑いくらいだったけれど、吹く風は夏のそれとは決定的に違っていた。秋は風にのって、雨とともに、夕暮れに潜んでやってくる。

 人は慣れていく生き物だ。良きにつけ悪しきにつけ色々なことものに慣れてしまう。けれども、悪しきについて、完全に慣れてしまうことはきっとないような気がする。その、対処が上手くなるだけで。

 風に乗って甘い匂い。どこかで金木犀が咲いている。秋だ。