6月28日、雨。

 今日の雨はじつに梅雨らしい雨だ。「しとしと」という擬音をあてるなら今日のような雨だろう。長い間ゆっくりと淡々と降り続き、静かに、けれどもしっかりと、満遍なく世界を濡らすような、そんな雨だ。

 梅雨らしい雨、と評した今日の雨だけれど、事実としての梅雨らしい雨と、自身が想像するそれとが同一であるかは自信がない。少なくとも、局所的に猛然と降り注いで地下の立体交差を水没させるような雨よりは、今日のような雨のほうが梅雨らしいと感じるし、そういう人も多いだろう。だけれども、どうにも自分自身の季節感というのが実に曖昧なものであるらしいことを近年思い知っているため、実際には局地的豪雨が六月に降ることも十分に「梅雨らしい」かもしれない(余り記憶にないだけで、梅雨にそうした雨が降ることは珍しくないのかもしれない。あまりそうは思えないけれど)。私にとっての「夏」がそうであるように、「らしさ」というのはたいていの場合誇張され、余計なものをそぎ落とし、どんどん純化していってしまう。ただ、それを前提とするのなら、やはり今日の雨はじつに梅雨らしい雨であるように思える。

 今住む部屋は、掃き出しの窓を開けているとよい雨音がするのだけれど(周囲の建造物や地面、道路との距離などが雨音を「よく」するような形で、適当に配置されているのだろうと思っている)、梅雨らしい雨というのは、そういう意味で言えば素晴らしいものだ。深夜、しとしとと降る柔らかな雨音を基調に、自転車置き場のトタン屋根や金属製のベランダの手すりに当たる高い音や、排水溝を流れる水音、樋などから落ちる水滴が水たまりに落ちる音なんかが絶妙に重なる。時折、濡れた路面を車が走る音や、通行人の足音、遠く微かに響く救急車のサイレン、犬や猫の鳴き声が加わる。音の種類は多く、それでいて、静かだ。

 今夜は、静かな、雨の夜だ。

 ソファに横になってなにをするでもなく雨音を聞いていると、通りを歩く誰かが、いつかどこかで聴いた歌を歌いながら通りすぎていった。段々近くなった歌声が、少しづつ遠ざかり、雨音に混じって消えた。こんな雨の夜に、歌を歌いながら外を歩くことは、なんだかとても素敵なことであるように思えた。やろうと思えばすぐにでもできることだけれど、きっと実際にそうする人は多くないはずだし、自分自身もそうしないだろうと思った。

 雨は懐かしい記憶を持っている、と画面の向こうである人が言った。いつか聞いた曲を他の誰かへ降らせることもある、とも。その人がそれを比喩として用いたのか、それとも純粋に文章の通りに思って書いたのかを知るよしはない。けれども、それは確かにその通りだな、と思った。今日、雨が降っていなければ窓の外の音にそこまで耳を澄ませていることはなかったのだ。そうだとするのなら、いつかどこかで聴いたあの曲は、その懐かしい記憶は、やはり雨が降らせたものなのだろう。雨が、雨音に忍ばせてこの部屋に運んできたのだ。

 目をつむり、耳を澄ます。雨音が続いている。

 あの歌は、誰の、なんという曲だったかな。記憶を探るけれど、思い出せなかった。

2013.12.28.Sat 日記

 今日は起きると既に12時どころか13時を回っており、都合12時間ほど寝ていた。寝ても寝ても眠い。暖房を入れて、ベッドの上でツイッターなどをしつつ部屋が暖まるのを待った。最近は朝(今日の場合は昼だが)目覚めると部屋が寒いと言うよりも冷たいくらいに感じられるので実に朝が辛い。寒いのは本当に苦手だ。もそもそと起き上がってキッチンに向かい、リングイーネを茹でつつ顔を洗ったりなんだりした。こないだスパゲティを買ったつもりがなぜかリングイーネを買っていたのでリングイーネを茹でたりしているのだけれど、商品を棚に戻すときは元合った場所に戻せな? お陰様でリングイーネ買ったな? 例えばスパゲティの棚にカッペリーニとか置くな? まあソースと相性悪いわけでないのでよいのだけど。そうして、ゆで上がったリングイーネに大量に作ったミートソースを絡めて朝というか昼ご飯としたのだった。今回のは今まで作ったミートソースの中でも一番の出来だったので非常に満足しているのだが、玉葱の量を増やすことと、玉葱を十分に炒めること、あとは挽肉を余り混ぜず、ひるまずに強火でごうごうと炒めることがポイントだったのではないかと思っている。次回また上手く作れたらきっとそういうことなのだろうと思う。煮込み料理などを作ろうと思えたのは年末休みに入ったからなのだけれど、休みというのは煮込み料理などに時間をかけられるという点でも素晴らしい。こないだ「休みが長すぎても特にすることがないんだよなー」などと宣うおっさんと話をしたのだが休みは長ければ長いだけ嬉しい。特に予定はなくとも、好きなことに好きなとき好きなだけ時間を費やせるのがいい。まあ、おっさんと自分では置かれた状況がちがうのだろう。ただ、どうでもいいのだけど、幼い頃からミートソースの類を食べると胃から口が臭いので困る。そういえば、映像とか文章とか絵とか写真とかそういう諸々を見たり読んだりするとき、時折そこにある「におい」を想像するのだけど、経験したことのない「におい」を考えるのは難しい。「におい」というのはその場でしか感じられないことの一つだな、と思っていて、その「におい」の壁みたいなものを時折感じたりする。口臭で思い出したので例に出すと、映画の朝起き抜けの濃厚なキスシーンとか、戦場で沢山人が死んでるところとか、ニュースに写った震災の時の映像や写真だったり、そういうもろもろ。比喩ではなくて純粋に「におい」がない、というのは、実際にその場所に立つのとでは決定的に違うところだな、と思ったりするのだった。

 特に予定もなかったのでだらだらとインタネットなどをしていたのだけれど、ツイッタでゼログラビティを観たと言っている人がいて、そういえばもう公開していたなー、と思いだしそのまま勢いで「ゼログラビティ」を観に行った。サンドラ・ブロックは「スピード」でキアヌと共演していたのが一番古い記憶で、その後「インターネット」やら「スピード2」やら観てちょこちょこ出演作を観てはいたものの余り好きになれずにいたのが「クラッシュ」で一転とても好きになった女優なのだった(一文が長くよくないとされる文章)。最近というかもう二年くらい前になるんだろうけど「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のサンドラ・ブロックは素晴らしかったな。最後のシーンもよかった
 家から一番近い映画館にふらりと言ったのだけれど、一人で映画館に行く、というのは時間をとても自由に使えているような気がして、大抵なんだかよい気分になる。別に他のことをしていても自由に時間を使っていることには違わないのだけれど、一体何なのだろうな、あれは。一人で映画館に行くこと自体はそんなに多くないので、ちょっとした特別感もあるのかもしれない。特に勤務先が都心部でなくなってからは本当に減った。一時期勤務先の最寄りが東京駅だったことがあるのだけれど、あの時は有楽町が近かったので思い立ったらすぐに仕事のあと映画を観に行けたのが、数少ないよいことだった。
 平日の昼間にふらっと行く映画館、というのが自分の中ではベストなのだけれど、思いの外空いていて、席も空席の方が多いくらいだった。映画の前にやる予告編というのはとてもよくできていて、大抵の映画は面白そうに見えるので編集の力とはすごいことよな、と思う。クリスティアン・ベイルが予告編でまたむちゃな体重変化を遂げていて健康状態を心配するなどしながら本編を待った。で、本編は結構よかったです。ところどころ息の苦しい映画で観ていて少し疲れたけど。サンドラ・ブロックほんとうよかった。サンドラ・ブロックは歳取ってからの方が圧倒的に好き。音楽もよかったなー。ただ、原題の「Gravity」から「ゼログラビティ」にしたのにはなんか非常に納得がいかない。原題のままであるほうが絶対よいと思うのだけど。あと、2Dで観たけどちょっと酔ったので酔う人は酔うかもしれない。あと、あるシーンの別視点映像がネットで公開されていたので映画見た人は是非。http://bit.ly/I50wIH

 映画館を出て電車に乗って帰る途中、女の子がわんわん泣いていたのだけれど、子供ってなぜか他人と目が合うと瞬間泣き止むのよな。あれはきっと、泣くという意思表示で、つまり親に対して泣いて見せているから、他人と目が合うと瞬間泣き止むのだろうな、と思っているのだけれど、女の子も例に漏れず目があったら泣き止んだので、目を逸らさず変顔かましたのだが「なんだあいつ」みたいな顔をしたあと、母親に向き直ってまた泣いていた。人目も余り憚らずにわんわんと泣けるというのは子供の特権だよなあと思う。別に声を上げて人目も憚らずわんわん泣きたいことがあったわけではないけれど。

 帰ってからまた再び作り置きのミートソースを食べて、インタネットをしつつ、今こうして文章を書いて一日が終わった。よい休日だった。眠る。

知らない。

 ここ2週間の間に、2人の人が亡くなった。1人は友人の、もう1人は幼なじみの父だ。今日、その友人の父の通夜があった。

 友人を、単純に「友人」と呼んでいいのかは難しい。父同士が仕事の関係で親交があり、幼い頃には家族ぐるみの付き合いがあった。一緒に旅行に行ったこともあるし、彼の家に泊まりに行った記憶もある。偶然同い年だった彼とは、割と気があったのだろうと思う。住む場所が遠かったこともあって、年に1度か2度しか会う機会はなかったけれど、会えばすぐに楽しく過ごすことができた。けれども、彼の父の転職に伴い、そうした機会も次第に減り、やがて疎遠になってしまった。最後に彼と会ったのは12歳だったように記憶している。それ以降、特に連絡をとることもなかったし、最近では思い出すこともなかった。時折古いアルバムの写真を見返した際に、元気にしているかな、と思うくらいだった。彼と最後に会ってから、もう15年以上の時間が流れている。だから彼を、ただ簡単に「友人」と呼ぶのには少し抵抗があるのだけれど、それでもやはり、幼い頃に仲の良かった友人なのだから、やはり「友人」なのだろう。

 今日焼香をあげる際に、遺族席に座る彼を、家族を、彼の父の遺影を見て、流れた月日を思ったけれど、それでも彼の父はまだ60歳だった。多くの人は60歳をまだ若いと言うだろうし、実際に多くの人がそう言っているのを聞いたし、自分自身もそう思う。詳細に書くことはしないけれど、彼の父は特に病気だったわけでなく、突然亡くなったそうだ。もし自分の父が突然死んだら、と縁起でもない想像をしてみたが上手くいかなかった。目を赤くする彼の心情を推し量ることは、15年の空白がなくたって不可能だろう。


 幼なじみとは幼稚園からの付き合いになるので、もう25年以上の付き合いということになる。過去、極々ご近所さんだったこともあって、家族間でも親交があった。特に母親同士は今でもお茶のみ友達で、しょっちゅう会っている。彼女の父が亡くなったのも、たまたま実家にいた際に母に来たメールで知ったのだった。すぐに幼なじみに電話をかけて、なにか手伝えることがあれば遠慮せずにいってくれ、と伝えて電話を切った。

 幼なじみの父は癌だったのだけれど、治療で容態はよくなったと聞いていた。仕事熱心だった彼女の父は、快方に向かってからは再び仕事に精を出している、とも。彼女もそう聞いていたようだったけれど、実際にどうったのかは分からない。少なくとも、彼女にとっては急なことだった、と言っていた。けれど、だから最期は苦しまなくてよかった、とも。彼女の父は72歳だった。日本人男性の平均寿命に鑑みれば、7年程早いということになるのだろうけれど、72歳と聞けば、60歳と比較して「早い」と言う人は少なくなるだろう。けれども、そんな比較にはなんの意味もない。繰り返す必要もなく、泣きながらそう言った彼女の心情を推し量ることもまた、不可能だ。


 自分の父も、じき60歳になる。基本的に若く見える人だが、ふとした瞬間に、父が老けたことを感じることがある。それはそうだ、自分ももう30になるのだ、父も老ける。とはいえ、とはいえだ、それでも、急に父が死ぬとは思えないし、思っていない。じき80になる祖母でさえ、余りに元気で(下手をすると自分よりも元気に見えるし、自分よりも歩くのが速く、自分より姿勢も良い)死ぬだなんてとても思えない。けれど、いつかは祖母も、父も、母も、そして私も死ぬのだ。けれど、それを知ってはいても、やはりそれはどこか遠く、他人事のように思えてしまう。それを近く、体験した人がいても。

 だから結局、知らない、ということなのだろう。

 人は必ず死ぬ。どんな人間にも、例外なく死は訪れる。それを多くの人は知っている。自分もそれを知っている。けれどもそれは一般的な話でしかない。死というのは、それぞれがそれぞれに、まったく別のものなのだ。古い友人の父の死と、幼なじみの父の死とが、同じものではないように。死に直面するたび、それは、今までに見てきた死とはまったく別の、初めて出会う死なのだ。人がいつか必ず死ぬことを知っている。けれど、これから直面する死を、我々はいつだって知らない。