知らない。

 ここ2週間の間に、2人の人が亡くなった。1人は友人の、もう1人は幼なじみの父だ。今日、その友人の父の通夜があった。

 友人を、単純に「友人」と呼んでいいのかは難しい。父同士が仕事の関係で親交があり、幼い頃には家族ぐるみの付き合いがあった。一緒に旅行に行ったこともあるし、彼の家に泊まりに行った記憶もある。偶然同い年だった彼とは、割と気があったのだろうと思う。住む場所が遠かったこともあって、年に1度か2度しか会う機会はなかったけれど、会えばすぐに楽しく過ごすことができた。けれども、彼の父の転職に伴い、そうした機会も次第に減り、やがて疎遠になってしまった。最後に彼と会ったのは12歳だったように記憶している。それ以降、特に連絡をとることもなかったし、最近では思い出すこともなかった。時折古いアルバムの写真を見返した際に、元気にしているかな、と思うくらいだった。彼と最後に会ってから、もう15年以上の時間が流れている。だから彼を、ただ簡単に「友人」と呼ぶのには少し抵抗があるのだけれど、それでもやはり、幼い頃に仲の良かった友人なのだから、やはり「友人」なのだろう。

 今日焼香をあげる際に、遺族席に座る彼を、家族を、彼の父の遺影を見て、流れた月日を思ったけれど、それでも彼の父はまだ60歳だった。多くの人は60歳をまだ若いと言うだろうし、実際に多くの人がそう言っているのを聞いたし、自分自身もそう思う。詳細に書くことはしないけれど、彼の父は特に病気だったわけでなく、突然亡くなったそうだ。もし自分の父が突然死んだら、と縁起でもない想像をしてみたが上手くいかなかった。目を赤くする彼の心情を推し量ることは、15年の空白がなくたって不可能だろう。


 幼なじみとは幼稚園からの付き合いになるので、もう25年以上の付き合いということになる。過去、極々ご近所さんだったこともあって、家族間でも親交があった。特に母親同士は今でもお茶のみ友達で、しょっちゅう会っている。彼女の父が亡くなったのも、たまたま実家にいた際に母に来たメールで知ったのだった。すぐに幼なじみに電話をかけて、なにか手伝えることがあれば遠慮せずにいってくれ、と伝えて電話を切った。

 幼なじみの父は癌だったのだけれど、治療で容態はよくなったと聞いていた。仕事熱心だった彼女の父は、快方に向かってからは再び仕事に精を出している、とも。彼女もそう聞いていたようだったけれど、実際にどうったのかは分からない。少なくとも、彼女にとっては急なことだった、と言っていた。けれど、だから最期は苦しまなくてよかった、とも。彼女の父は72歳だった。日本人男性の平均寿命に鑑みれば、7年程早いということになるのだろうけれど、72歳と聞けば、60歳と比較して「早い」と言う人は少なくなるだろう。けれども、そんな比較にはなんの意味もない。繰り返す必要もなく、泣きながらそう言った彼女の心情を推し量ることもまた、不可能だ。


 自分の父も、じき60歳になる。基本的に若く見える人だが、ふとした瞬間に、父が老けたことを感じることがある。それはそうだ、自分ももう30になるのだ、父も老ける。とはいえ、とはいえだ、それでも、急に父が死ぬとは思えないし、思っていない。じき80になる祖母でさえ、余りに元気で(下手をすると自分よりも元気に見えるし、自分よりも歩くのが速く、自分より姿勢も良い)死ぬだなんてとても思えない。けれど、いつかは祖母も、父も、母も、そして私も死ぬのだ。けれど、それを知ってはいても、やはりそれはどこか遠く、他人事のように思えてしまう。それを近く、体験した人がいても。

 だから結局、知らない、ということなのだろう。

 人は必ず死ぬ。どんな人間にも、例外なく死は訪れる。それを多くの人は知っている。自分もそれを知っている。けれどもそれは一般的な話でしかない。死というのは、それぞれがそれぞれに、まったく別のものなのだ。古い友人の父の死と、幼なじみの父の死とが、同じものではないように。死に直面するたび、それは、今までに見てきた死とはまったく別の、初めて出会う死なのだ。人がいつか必ず死ぬことを知っている。けれど、これから直面する死を、我々はいつだって知らない。

20131006_雑記

 ふと夏が行ってしまったことを思いだしてなんとも言えない気持ちになってしまった。私は十月生まれなのだけれど、毎年誕生日が近づいて涼しくなるたび、寂しいと言えばいいのか、虚しいと言えばいいのか、やるせないと言えばいいのか、そのすべてであるような、そんな気持ちになる。春はいい、日を追う毎に暖かくなり、日が長くなっていくのだから。けれども秋はその逆に、日を追う毎に寒くなる。六月を境に短くなっていたはずの日の短さを意識し始めるのはどうしてか決まって秋だ。気付くと十七時を過ぎれば空は暗くなっていて、朝晩には冷え始める。自分にとって秋は終わっていく季節なのだ。これから秋が過ぎて冬が来る。秋にも、冬にも楽しいことはあるのだけれど、それは、少しだけ心を憂鬱にさせる。

 九月に入ってから休日に予定があることが多く、そのうちの半分以上が仕事と言えば仕事のようなものだったのだけれど、今日はやっと一日なんの予定もない休日だった。昼近くまでぐっすり寝て、ご飯を食べてまた眠った。余りに寝過ぎたせいか少し今からだが重いけれど、こういう休日ができれば二週間に一日は欲しい。自分にとっての休日とは、特別これといった予定のない一日を指すらしいことがこの一ヶ月でよく分かった。十月の休日にも既に半分近くの予定が入っていて、それもまた、少しだけ心を憂鬱にさせる。

 去年はそうでもなかったのだけれど、毎年このくらいの時期になると気持ちの平均線がぐっと下がる。今年はそれが来ているのだろうかね、となにやら他人事のように思っている。他人事と書いて思いだしたのだけれど、この間仕事で関係のある初老の男性に「君は年齢の割にものごとを客観視できているように思える」とお褒めに預かった。(それが褒められることなのかは別として、また、自分のその能力が他人と比べて優れたものかどうかは別として)そういう自覚はあったのだけれど、いざそう言われて考えてみると、客観視しているというよりも、人に比べて色々なことものを他人事だとみなしているがゆえに、客観視しているように見えるのではないかという気がした。そもそも「客観的に見てみよう」と意識して客観視したことはほとんどないような気がする。良くも悪くも、ほとんどのことものは自分にとって他人事で、そういう意味で多くのことものは「どうでもよい」ことの方が多いように感じていて、そういう「どうでもよい」が結果として客観視を生んでいるのかもしれない。つまり、客観視する能力があるのではなくて、性格に起因する偶然の結果なのかもなあ、というようなことを初老のおじさま方の会話をふむふむと聞きながら考えていた。これは別に心を憂鬱にさせない。

 自分の中の「文章を書く部」みたいな場所がずいぶん鈍っているなあ、と文章を書きながら感じている。そういう部も、体と同じように、動かしていないの鈍るのだろう。とついったで書いたのだけれど、本当にその通りだな。実に鈍っている。ただ、鈍っているのは鈍っているのでその通りなのだが、やはり色々なことものは、考える前に飛べ、ではないけれど、まずやり始めろということだな。最近navarまとめかなんかで「作業興奮」とかいうのがブクマされまくっていたけれど(見つけた。http://matome.naver.jp/odai/2138059460481420301)、やり始めないことには本当にそのとおり始まらないというこの糞みたいな人体構造上の事実は何度でも思い出し、自分自身に言い聞かせるべきだろう。

 ほかにも色々思ったり書こうと思うことあるけどいまいちまとまりきらんし12時回ったので終わり。

はてなダイアリからはてなブログに移行しました

 タイトルの通りでございます。

 ダイアリの有料期間が結構残っていたのと、ダイアリのデザインが結構気に入っていたのがあってずっと移行しないできていたのだけど、有料期間も切れるしそろそろいいかなーという気持ちになったので移行した。年間3000円くらいだったら払ってもいいかなーって思ってproにしてたのだけど、さすがに8000円となると出し渋ってしまうな。なんかその辺に閾値があるのだろうな。今のところはてなブログproにはしないつもり。カウンターとか置きたくなるのは性なのかもしれんけど、まあ、更新頻度も低いしいいのかもしれないな。もう。

 こないだ旅行に行ったので、それについてのレポート的なものとかを書くつもりではいる。とりあえず、一応、移行したよ、ということを書いて置いておきます。