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インターネットから消えたあるブログについて

なんか思ったこと

 今朝、あるブログが消えていた。それに気付いたのは、ある人がそのことについて言及していたからで、そこから、ブログだけでなくTwitter等々のインターネット上のアカウントの類をことごとく消してしまったことを知った。そのブログを書いていた人とは特に交友がなかったから、インターネットから姿を消したその人は、自分の世界から消えたも同然だ。消えてしまった。忽然と。最後に匿名ダイアリーに言葉を残して。

 広義のSNSに触れていれば、アカウントの消失に伴ってその人との接点が消失してしまう、というのはいくらでも起こりうることだ。今までにもあったことだし、これからだって起こるだろう。だから、あの人がそうしてアカウントの類をすべて消し去ってインターネットの観測範囲から姿を消すことを選んだことも、そうした沢山の例のうちの一つでしかない。その人が俺の世界から忽然と姿を消してしまったことそれ自体に対して思うことは、思えることは、少ない。俺はただの一読者でしかなかったし、特に積極的に関係を構築したいとも思っていなかった。だから、こういう際によくある「直接連絡を取る手段を持っていたら」というような後悔もない。ただ、もうあの人のこれから書く文章を読むことはできないのだな、ということと、あのブログがなくなってしまったことは、とても残念だな、と思う。

 自分がはてなダイアリーで日記を書き始めたきっかけの一つは、その人がはてなダイアリーを使っていたからだ。いちいち詳しくその理由について書くことはしないけれど、きっと、憧れていたのだと思う。彼の書く文章に。とりわけ、創作における情緒的な叙景文なんかに。自分が文章を書きたいと思う理由の一つに、頭の中に浮かんだ映像を文章化して残したい、という欲求があるのだけど、あの人の書く叙景文は「こんな風に書けたら」という想像の近似値ないし発展形としてそこにあった。色んな文章に影響を受けてきたとは思うけれど、誰かのような文章を書きたいと思った記憶は、他にないんだ。だから、そういう感情をいだかせてくれたあのブログには、やっぱり思い入れがあった。そういう自分にとっての指標みたいなものが、あっさりと消えてなくなってしまったことは、やっぱり素直に悲しいな、と思う。

 今はGoogleReaderに残る過去ログからあの人の書いた文章を読むことができるだけだ。いつだったか、あの人の文章を読んで『今の自分とその人の文章の間にある径庭に途方に暮れている』と自分が書いているのだけど、きっとずっとそう感じるのだろうな。時折読み返しては、まだ遠い、まだ遠い、ときっと思うのだろう。分からないけれど。あの人の文章に、無意識に、意識的に影響を受けたと思うし、きっとこれからも影響を受けるのだろう。

 読み返すたび、引用スターつけたいって思って、ああつけられないんだった、って思い出してたぶんちょっと悲しくなるんだろうな。