だって、向き合わなきゃならないから。

 10月くらいに書いてなんとなく公開してなかったもの。

 TwitterのTLにRTされてこんなん流れてきた。

誰かに嫌われたくないと思うことは悪いことですか。人に合わせて生きていくことは悪いことですか。誰かの力になりたいと思うのはおせっかいですか。周りからの評価を気にしてビクビクしてはいけませんか。人を信じることは愚かなのですか。そんなことを声を大にして口にするのもだめですか。
http://twitter.com/oowd/status/27748547862

 読んで思ったのは、この問いかけした人凄い、ということ。問いかけが上手い。

 これは「そんなことはない」という返答を導くのには凄くいい質問だと思う。質問事項が、どちらでもないか、どちらもか、そのどちらにでもなり得るようなことなのだ。だから、返答が「(必ずしも)そうじゃない」になる。

 質問内容を反転してみると分かりやすい。

『誰かに嫌われたくないと思うことは良いことですか。人に合わせて生きていくことは良いことですか。誰かの力になりたいと思うのはおせっかいではありませんか。周りからの評価を気にしてビクビクしてもいいですか。人を信じることは素晴らしいですか』

 質問を逆にしても、「(必ずしも)そうじゃない」と言うしかない。それは上に書いたように質問事項がそういう内容だからだ。

 「これは上手い」と思って思わずRTしてしまった。

 RTした理由が「共感」や「同意」ではなかったので「なんでRTしたのか」をさらっとツイートで書いたんだが、140字だと足りなかったので記事にしてみた。

 で、こっからが本題というか、これに関連して思ったこと。

 この言葉、何人がRTしたんだか知らんけど自分のとこに来た時点で既に100+だったので、結構な数RTされたのだと思う。RTした理由は人それぞれだろうけれど、多くの人が「これいいな」って「共感」したり「同意」したりしたのだろう。自分みたいな理由でRTした人が多数派とは思いにくい。

 仮にそうだとするのなら、その人たちはどっかで「悪い」と思っているんだろうな、と思った。評価を気にしてしまうことを余り良く思っていないし、おせっかいになってしまうかを恐れるのだろう。そして信じることが時に愚かであると思っているのだろう。でも、自分はそうして(なって)しまうから、それを肯定してくれる(ように見える)この言葉に何かを見出すのかもしれない。

 でも、この言葉は否定していないだけであって、それを肯定してはくれない。

 誰かに嫌われたくないと思うこと、人に合わせて生きていくことは、悪いことではないけれど、だからといって「良いこと」でもない。思うこと自体に良いも悪いもないし、生きていくというその選択に良し悪しは特にない。良し悪しはその後だ。

 誰かの力になりたいと思うことも同じだ。それ自体はおせっかいではないが、それに基づいた行動はおせっかいになり得る。自分がよかれと思ってしたことが相手にとっての迷惑になることはいくらでもあるし、当然その逆もある。

 周りからの評価を気にして怯えてしまうことは当然いけなくはない。そんなもんは人の勝手だし、それを禁止する権利など誰にもない。ただ、そうでないほうが楽だし生きやすいだろうとは思うので、ビクビクしないで「すむなら」しない方が望ましいとは思う。

 人を信じることは愚かではないけど、それが盲信であれば愚かだと言われることもあるだろう。信じるというのは一つの思考放棄だと思うから。

 だから、この言葉は否定もしないけれど、肯定もしてくれはしないのだ。

 別に、RTした言葉を否定したいわけじゃない。何もかもを白日の下にさらけ出してそれと向き合いましょうだなんて言うつもりもないしするつもりもないしできるとも思えないし例えできてもしたくない。むしろ人生において、こういう言葉は必要だと思っているし、こういう言葉はとても好きだ。けれど、この言葉を好きだと思う理由は、この言葉が優しいからではない。この言葉が否定しないからではない。この言葉がとてもずるくて、そして発言者が、そのずるさに「自覚的」だからだ。

 この記事を書くにあたって本人のページ見に行ったら、さっきの質問は意識的にそうしたのだろうと思わせるツイートがあった。

建前と本音、本音が聞きたいなんて言葉が建前でしょう。人はなにかを発言するときにはすでに望んでいる返事は見えていて、それは相手の本音じゃなくて自分の中の都合のいい言葉。こういってほしい。誘導尋問の類。想定の範囲内。「そんなことないですよ」が大好き。そうやって廻る当たり障りのない日常
http://twitter.com/oowd/status/27848425873

 このツイート凄い好きだなあって思ったんだけど、なんでかって、この人は、自分の質問がそういう質問であることを自覚して、その上で言われる「そんなことないですよ」を好きだと言っている(ように見えた)からだ。

 自覚していたい。そういう自分の弱さや、甘さや、駄目さ、汚さ、醜さ、ずるさを。

 そしてその上で、人の優しさに甘えたい。