2018.9.28

 恒例の秋の滅入り期間である。こんなものは恒例になってほしくないものだが、毎年律儀に気分が下降するのでいい加減にしろという気持ちにはなる。ただまあ、日常生活に支障が出るかと言われると、若干元気が失われる程度で、のらりくらりやれる程度には耐性がついたのだろうか。ついた。ついたに違いない。そう思う、思いたい。

 季節性のそうした気分の下降とはまったく別に、夏過ぎからいくつか悲しいことがあった。正確には、悲しいと言えばいいのか、寂しいと言えばいいのか、腹立たしさもあって、いまいちその自分の感情になんという言葉を与えれば適切に表現できるのか分からないままでいる。静かにじわりじわりと心のどこかを締めつけるような重い靄を飲み込んでしまったみたいな、そんな心地だ。これも適切に表現できているかはなんともいえない。ただ、間違いなく、愉快ではない出来事があった。そうだな、そう、愉快ではないこと、だ。

 なにもかもが移ろい変わっていくなんてことは、今更言葉にするまでもないくらい、昔から(今でもそして恐らくこれからも)様々な人々が色々な形で残している。一言で言うのなら「無常」というそのことは、ありきたりだと思えるほど人を揺さぶるのだろう。それについてどう感じ、どう向き合うのか。

 誰もかれも、もちろん自分自身も、なにもかも、同じままではいられない。ただ、俺が望む形じゃなかっただけだ。いいとか悪いとかじゃない。単純にそれだけのことだ。もちろん、どうにかしたいわけでもない。でも、感情は動く。

 振り返ってみれば、もうあのころは霞んで見えるほどに遠い。ずいぶん遠くまで来たんだ。しょうがないよな。

 ああ、今日はいい天気だな。