読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ハカタと呼ばれた貧しい漁村

雑記

 深夜。新宿。終電はすでにない。南口前の横断歩道あたりに止まっていたタクシーを拾う。「渋谷駅前まで」と告げると、「へい」と軽い返事が返ってきた。タクシーの運転手は芸人「千鳥」の坊主の方(参考:http://yoshimotonews.laff.jp/news/images/2010/10/22/daigo_6.jpg)によく似ていた。渋谷に向かった理由は自分自身でもいまいち分からなかったが、きっと朝まで渋谷で時間を潰すつもりだったのだろうと思う。恐らくクラブかどこかで。

 シートに座った途端猛烈な眠気に襲われ、渋谷に行くよりも、家までこのまま帰ったほうがきっと幸せだろうと思い直した。ずいぶんと無駄な出費になってしまうが、それもやむなし、というほどの眠気だった。千鳥(運転手)に目的地の変更を申し出た。

「すいませんが目的地を練馬に変更して貰えますか」

「いいですよ!練馬なら800円でいけちゃいますよ!はは!」

 行ける訳がなかったが眠すぎたので愛想笑いで流した。千鳥に目的地の変更を告げたことで安心してしまったのか、その後すぐに眠りに落ちてしまった。

 ふと目を醒ますと、なにやら空が明るい。新宿から練馬までは30分程度だ。夜が明けるとなると明らかに時間が経過しすぎている。違和感を感じて外を見るも、やはり窓を流れる景色は見慣れぬものだった。なによりもまず、海が見える時点でおかしい。どうなっているのかとバックミラーを見ると千鳥と目があった。バックミラー越しに千鳥が笑顔を浮かべて言う。

「お客さん、すいません、車の調子が悪いんで営業所まで車替えに行かせてもらってます。へへ」

 余りに堂々とそう言われて、返す言葉を失った。とりあえず降ろしてくれ、と言おうとすると、再び千鳥がそのタイミングで口を開いた。

「お客さん、ここが博多です」

 千鳥は言った。博多。福岡県博多市。政令指定都市の一つ。九州一の都市だ。改めて窓の外を見る。あばら屋と言っても差し支えないような木造の小屋が海辺に沿ってところ狭しと並んでおり、熱帯地方にみられるような木々が所々に生えている。これが博多。まさか。東南アジアの貧しい漁村と言われた方が信じられる。新宿から、練馬を目指していたはずだった。なのに千鳥はここが「博多」であると言う。けれど窓の外に広がる景色は、やはりどう見ても東南アジアで、外を歩く人が明らかに日本人ではない。どうなっているのか、どうすればよいのか、まったく想像もつかなかった。

 タクシーが減速して舗装されていない土地に乗り入れる。

「着きました。お客さん、ちょっと待っててくださいね。車替えてきますんで」

 相変わらず薄ら笑いを浮かべた千鳥はそう言うと、エンジンを切って目の前の木造家屋の中に入っていく。

 木造家屋にはさび付いた看板が掛けられており、なにかシャム文字のような文字が書かれている。周囲には車が5,6台止まっているので、恐らくここが営業所なのだろうが、問題なのは、やはり看板に書かれた文字が日本語でないことだ。考えられるのは、大きく二つ。一つは、ここは博多ではないという可能性。もう一つは、自分が知らなかっただけで「博多」とは元来こうだった、ないしこのように変化したという可能性だ。後者は考え辛いので、まあ前者だろう。けれども、博多でないとすれば一体ここがどこなのかはまったく分からないし、仮に万が一博多であったにしても、新宿から空が白む程度の時間では博多にも、まして東南アジアにも辿り着けはしないということだ。分からないことだらけだったが、千鳥が信用ならないのは明らかで、このままここにいるのは危険かもしれない。とはいえ、周囲の人に言葉が通じるとも思えず、まるで土地勘もない。どうすべきかの判断がつかない。とりあえず車を降りて外の空気を、とドアを開く。瞬間、磯の臭いと湿気を含んだ熱気が全身にまとわりついた。確信する。ここは日本じゃない。

 どうすればいい、とこの短時間で何度も自身に問うたけれど、答えはでなかった。振り返って自分が乗ってきたタクシーを見れば、どうやって走っていたのかを疑うようなボロ車だ。新宿で乗ったときはこんなではなかったはずだけれど、現実にタクシーはボロボロで、眼前に広がる景色や気候は日本のものではない。常軌を逸しているとは正にこのことだった。今までの自分の常識からは考えもつかないようなことが起こりすぎている。ハカタと呼ばれた東南アジアの貧しい漁村のような場所で、途方に暮れるしかなかった。

 営業所から千鳥が出てくるのが見えた。薄ら笑いは恐らく千鳥のデフォルトの表情なのだろう。千鳥は途方に暮れる私にゆっくりと寄ってくると、横に並んで言った。

「お客さん、これがね、貧困ってやつですよ」

「貧困」

「ええ、そうです。タクシーで新宿から練馬まで帰ろうなんてあなたには想像もつかないような、ね」

 どうやら千鳥は、俺を憎んでいるようだった。いや、正確には、俺を通して見る世界を憎んでいるようだった。けれど、そのような憎しみに応える言葉を俺は持ちあわせていなかったし、応える必要があるとも思えなかった。

「貧困ですよ」何も言わない俺に千鳥は繰り返した。「これがね」



という夢を見た。きっと今後俺は千鳥のボケ方あんまり好きになれないだろうなって思った。なんかすごく疲れた。