読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

10月21日、雨、東京駅、川上未映子。

日常

 10月21日。東京は丸の内にある丸善丸の内本店で、川上未映子さんのサイン会があった。新刊の「すべての真夜中の恋人たち」の発表を記念した催しだ。川上さんのブログを読んでサイン会があることを知り、電話予約ができるとのことだったので新刊の予約ついでにサイン会にも申し込んだ。

サイン会というからには「サイン」をもらう「会」なのだろうけれど、正直に言うと、そこまでサインが欲しかったわけではなかった。サインをもらうことよりも、川上未映子という人間が見てみたかった。ああいう文章(物語、エッセイ等)を書く人が、この現実に生きている姿を、この目で見てみたかったのだと思う。いや、もっと言ってしまえば、この文章を書いた人を見てみたかったのだと思う。*1

 サイン会は19時からの予定だった。会場に着く前に、予約していた新刊を購入し、生理剣を受け取る(なにこの誤変換。お前本屋でなに受け取るつもりだよ……)ことを考えると、18時半には東京駅についていたかった。勤務先から東京駅までは約1時間半。21日は仕事を早めに上がる予定を立て、周囲の人にもそう告げていたのだが、そういうときに限ってハプニングが起こるのは物語の中だけの話ではないのだろう。17時半にはあがっているはずだったのに、業務が終わったのは19時頃だった。

 勤務先のビルを出ると、すでに外は真っ暗だった。予定通り17時半に出たとしても、最近の日の入り時間を思えば外は暗かっただろう。まだ間に合わないと決まった訳じゃない。けれど、真っ暗な夜の空が「間に合わない」ことの証明であるように思えて、少しの間ビル前の広場で途方に暮れてしまった。最近頭を悩ませる将来についてのことや、今日のハプニングの内容も相まって、このまま帰ってしまおうかと投げやりな気持ちになった。けれど、きっとこのまま帰ったらどうしようもない気持ちになるだろう。間に合うかどうかは分からなかったけれど、それでもやっぱり会場に向かうことにした。どちらにしても絶望的な気持ちになるのなら、終わってしまった会場を見て、正しく絶望したかった。

 東京駅へと向かう車内は、座席がちょうど埋まるくらいの乗車率だった。窓の外を東京のはずれの住宅街の明かりが流れていく。ウォークマンから流れてきたParachutesの「Where Were You ?」が、どうしようもない気持ちに輪をかける。「俺は一体何をしてんだろう」問いかけの形をかりた自己批難。サイン会の一つや二つ行けなくたってどうだっていいじゃないか、と自分に言い聞かせようとするけれど、問題はそこにないことを誰より自分が知っていた。問題なのは「サイン会の一つや二つにも行けない」ことだった。そしてそれは、自分の選んでいる生き方の問題だった。

 「どのようにして生きていきたいのか?」という問いに素直に正直に答えるのなら、「好きな人たちと、好きなことして生きてたい」となるだろう。けれど、生きていくためにはどうやらお金というものが必要らしい。自分の望む生活は金を生まない。だから、生きていくために金を得なければならない。そうして選んだのが労働だった。ありふれた、どこにでもある、ごくごく一般的な手段だ。なのに自分は、週の5日間、朝から晩までを労働に費やすこの生活を上手く受け入れられないでいる。

 自分の中の自分が声を上げ始める。

 「甘えたことを言うね。それでも働く、それが大人ってもんだろう」甘えたこと言っているのは分かっているけど、それでもやっぱりよく分からないんだよ。「でも、金がなきゃ生きてはいけない。見てみろよ、そうやって皆生きているじゃないか」そうなのだろうか。この電車に乗る皆は自身の人生を諒解しているのだろうか。だとすれば、どのようにして諒解しているのだろう。それとも、諒解できずに、それでもそれをぐっと飲み込んで生きているのかな。目の前のおっさんは、隣の新人ぽい女の子は、買い物袋下げたおばちゃんは、どうしているんだろうか。「おいおい、大学生じゃないんだ、そんなもん就活んときにクリアしてこいよお前いくつだ」どうにかなったなら困ってねえよ。「そんなに困ってんなら、少しでもましになるように動けばいいじゃねえか。選択肢は色々あるし、お前はそのうちのいくつかを知ってるはずだ。だけど、動かない。結局そこに集約されんだよ。"動いてない"。それだけの話で、そしてお前はそれも知ってるはずだ」分かってるよ、けど。「そう、けれども。お前は一方で"自分は幸せだ"と思ってる。家族がいる、友人がいる、恋人がいる。関係は良好。まあ生きていくに困らない稼ぎもあって、時間もそれなりにある。"俺は恵まれてる。だからきっとこれは甘えなんだ。今だって十分幸せじゃないか"そう言って自分を納得させる。でも、それは別のお話だ。混同してはいけない」別の。「そう、別の話だ。確かにお前は人間関係という点において幸せなんだろうさ。そう思うよ。でも、その一方でお前は社畜として生きる自分自身の人生に疑問を感じている。けど、お前の幸せとそれは別問題だろう。お前は問題を混同してる。それとも、"幸せ"すら動かない自分の言い訳にしてんのか?」お前は本当に嫌な奴だな。「なあ、お前このままだと『ソラニン』の種田みたいになるぞ。『俺は幸せだ』『ホントに?』『ホントさ』『ホントに?』うわーん、どがーん」やめろよ、縁起でもねえ。「じゃああがけよ。全部分かってんだろう、自分で」頭で分かってるからってすぐに動けんなら苦労してねえよ。「臆病者」うるせえ死ね。

 東京駅に到着したと継げるアナウンスが、自分自身との対話を終わらせた。愚痴を許さないもう一人の自分はいつだって「正しい」。その「正しさ」に心底嫌気が差す。いよいよ泣きたい気持ちになりながら、東京駅の構内を歩いた。

 丸の内南口から外に出ると、小雨が降っていた。傘はない。よりにもよって丸善から一番遠い丸の内側の出口だった。引き返せば、地下から濡れずに行くルートもあったのだけれど、引き返すのが億劫だったし、何よりもそれは癪だった。そのまま駅を出て丸善へと向かう。東京駅は相変わらず工事中で、霧雨と小雨の中間くらいの微妙な雨が、工事のライトの中を舞っている。きっと間に合わないだろうと思いながら、それでも歩く足は早足に小走りになり、最終的には走っていた。馬鹿みたいだな、と思う。丸の内駅前のオフィス街を、雨の中、スーツで、もう終わっているであろうサイン会のために走っている。頭で何を思っていようと、こうしていともたやすく行動が裏切る。本当に、ままならない。

 丸善の入っているOAZOというビルに辿り着き自動ドアをくぐった。吹き抜けになった一階ロビーからサイン会を行っているスペースが見えた。まだ、列がある。あがった息に安堵の息が混じった。間に合った。終わっていなかった。ただそれだけのことだ。たったそれだけのことに、何か救われたような気持ちになった。来てよかった。あのまま帰らなくてよかった、と心底思う。サイン会がまだ終わっていなかったというその事実だけでも、ここに来た意味は十分にあった。

 3階のインフォメーションカウンターで書籍と整理券を受け取り、二階の会場へ向かった。列は思っていたよりも残っていて、順番を待つ間にもぱらぱらと人がやってきていた。あと20分は遅くなっても間に合っただろう。本当にあのまま帰らなくてよかった。並ぶ人たちは性別も年齢もバラバラで、例えば自分の一つ前は中年のサラリーマンで、その前は女子大生くらいの女性二人。一つ後ろは私服の社会人カップルだった。強いて言えば中年女性の姿がいないように見えたが、自分が思っていたよりも読者層は広いようだった(勝手に女性読者の方が多いようなイメージを抱いていた)。ライブなんかに行っても同じことを思うのだが、年齢も性別もバラバラで全く違う人生を歩む沢山の人が、一つの同じ目的のために同じ場所にいるという事実が、なんだか面白かった。

 列が進み、二つ前の女子大生の順番になったところで川上未映子さんが見えた。内巻きのボブカットと、紺色の襟のついたワンピースは川上さんによく似合っていた(服装に関してはかなり記憶が曖昧で、ワンピースだったかは自信がない。もしかしたらブラウスだったかもしれない)。写真で見たイメージよりも、全体的に痩せているような気がしたが、それが実際に写真でみた川上さんより痩せているのか、写真がそう見せいていたのかは分からない。そして、写真で見るよりも、綺麗な人だった。

 そんな風に川上さんを観察していると、今まさに順番の回ってきた女子大生らしき女の子が泣き出してしまった。川上さんは、立ち上がって「どうしたの?」「大丈夫だよ」「泣かなくて大丈夫」というような言葉をかけながら、女の子の肩に手を当てていた。女の子はしゃくりあげながら必死に何かを川上さんに伝えようとしていて、川上さんはそれを一つ一つ頷きながら聴いていた。サインして貰った新刊を受け取った女の子は、手に持っていたクリアファイルを川上さんに差し出した。ファイルには何枚かの紙が挟まれているように見えた。川上さんはそれを受け取って、ちゃんと見るね、とか、読むね、とかそのようなことを言っていたように思う。それが何かは分からなかった。ファンレターかもしれないし、女の子が書いた小説か詩なのかもしれない。

 きっとあの女の子にとって「川上未映子」は神様みたいな存在なのだろう。そこまでいかなくたって、目の前にしただけで感涙してしまうくらいに、きっと彼女は川上さんが好きなのだ。それほどまでに何かを好きになる、というのはどういった気持ちなのだろう。そうして、何かに対してそこまでの情熱を、感情を傾けられるというのは、どういうものなのだろう。自分にはそれほどまで感情を傾けるものがないし、過去にもそういうものはなかった。だから、そうして何かに熱狂する人を見ると少しだけどこかで羨ましい気持ちになってしまう。そして同時に、虚しくなる。それが、何も入れ込むことのない自分の「空虚さを証明する」みたいで(それが事実であるかどうかは、ここでは問題ではない)。

 一つ前の中年男性がサインを貰い、お礼を言って帰って行った。自分の番が来る。川上さんは「今晩は」と言った。今晩は、と返事をする。「今晩は」というのは随分久しぶりに聞く挨拶だ。最近今晩はと言ったのはいつだったっけ。「沢山お待たせしてしまってすいません」「いや、とんでもないです」当たり障りのないの言葉の応酬をして、新刊と名前を書いた紙を渡す。川上さんは受け取った紙を見て、自分の名前を口に出して確認した「〜〜〜〜さんですね」「そうです。よろしくお願いします」そうして川上さんはスラスラとサインを書き始めた。サインを書き終わると、川上さんはその本を渡してくれた。ありがとうございます、と言うと、川上さんは立ち上がって「今日はありがとうございます」と言って自分に握手を求めた。右手を差し出し、握手を交わす。確かな感触と体温。この人は確かに生きているんだな。自分と同じ世界に、この人も今こうして生きているんだな。

 そうして、自分のサイン会は終わった。

 川上さんを見に行くことが目的だったから、特に何も喋ることや、聴きたいことを考えていなかった。ただ、川上さんが目の前で、現実に身体を持って、動いて、喋っていることに静かに驚いていたし、唯一問いかけたい内容は、とてもその場で声に出すことはできなかった。

 帰りの電車で口に出すことの適わなかったその言葉をもし問いかけたなら、川上さんはなんて答えたのかを考える。それは質問と言うよりも、心情の吐露でしかなかった。

『川上さんは、自分の人生をどのようにして諒解しているのですか。それとも、諒解できずに、それでも生きているのですか。俺は、この生を、上手く諒解できずにいます』

 言えるわけがなかった。

甘えてるだけと君も笑うかい?
生きるって難しくて
僕はまだ生まれてもいないような気持ちでいるよ

未映子「僕はもう、うきうきしない」

*1:まあ[http://d.hatena.ne.jp/iumem/20101004/1286201228:title=こんな文章]書くくらいだしな。