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「夏」の影を追いかけている

 昼休みは適当に勤務先付近をぶらぶらと散歩することにした。理由は、空が夏の空だった、という聞く人にとっては理由にもならないような理由だった。

 冷房の効いたビルから外に一歩出ると、思ったよりも外は暑かった。夏は言うまでもなく「暑い」ものだが、それを体感して妙に嬉しくなる。太陽は高かったし、入道雲は大きく白かった。空は間違いなく夏の空なのだけど、色は思っていたよりも水色だったな、と思う。街路にはプラタナスが等間隔で埋められており、幹の白と葉の緑が景色の中によく映えていた。紛れもなく夏だった。足りないのは蝉の声くらいものだ。

 ぶらぶらと駅と逆の方向へ歩いて行くと、団地にたどり着いた。五階建て程度の古い鉄筋コンクリートの建屋が建ち並んでいる。他の団地をよく知らないけれど、団地の並び方は余り規則的ではなく、建物の高さが低いせいもあってか団地街特有の圧迫感みたいなものはあまりなかった。きっと外壁の色もあるだろう。古いコンクリートは綺麗に白く塗り直されていて、各ベランダで揺れる洗濯物の色がちょっとしたアクセントになっている。壁の白と空とのコントラストが眩しかった。幼少期を団地街で過ごしたせいもあってか、その風景には妙に心を打つものがあった。吸い寄せられるように団地街へと入る。

 団地間を貫く石畳の道を行く。団地はそれなりに古いようだったが、よく管理が行き届いているのか、団地の共有空間――歩いているこの道であるとか、広場であるとか、街路樹や植え込み――はかなり綺麗に保たれていた。少し進むと、団地に併設された小さな公園に出た。色あせた遊具。誰もいない公園でかすかに風に揺れるブランコ。乗り捨てられた三輪車がすみの方に転がっている。なんてことはないただの公園だった。けれど、そのなんてことのない景色に、少しだけ打ちのめされて立ち尽くした。三輪車はズルだろ。

 さらに奥に進むと広場があった。近くにあった自販機で7upを買って木陰のベンチで煙草を吸う。そこかしこに溢れる生活感の割に、あたりは妙に静かで、人は一人もいなかった。妙なことを考えたくもなる。この団地は全て陽炎みたいなもので実際には存在せず、暑さにやられて幻をみているんじゃないだろうか、とか。どっかでこの団地だけ時空がねじれて、ドラえもんの鏡の中の世界的な感じで人がいないんではなかろうか、とか。そのくらい、静かだった。

 太陽は容赦なく辺りを照らしつけ、濃い影を作っている。足もとの石畳の上を、風に合わせて木漏れ日が踊る。木陰の風は思っていたよりも涼しかった。どこか遠くから小さく蝉の声が聞こえた。

 煙草を吸いながら、どうやら自分は「夏」を探しに来たらしい、ということに気付く。噴飯ものだが事実だった。


 つい最近、ある人が『「夏」という季節はずいぶんと抽象的なものになってしまった気もする。』と言っていたのだけれども、まさにその通りだなあと思う。自分にとっても「夏」というものは、かぎかっこ付きで語られるようなものになってしまった。

 そもそも、「夏」について思うことや、その言葉から想像するもののほとんどは自身の経験に基づくものではない。恐らくそれは、物語や、写真や、映像など、つまりは内部ではなく外部の記憶によって作られたものだ。けれど、それら「存在しないはずの過去の景色」は、存在する本来の記憶よりも圧倒的なリアルさでもって胸に迫る。有体に言えば、切なかったり、やるせなかったりして、もっと砕けた言い方するのなら「死にてー」というような気持ちにさせる。

 そんな風になってしまう理由は至って簡単だ。それは「夏」というものが、自分にとって想像し得る数少ない「楽園」の一形態であり、そして、その楽園にもう絶対に自分がたどり着けないことを、それが存在しないことを、自分自身どうしようもなく分かっているからだ。だから、どうしようもない気持ちになる。

 にもかかわらず、未だに探している。見上げた空に、そこに浮かぶ雲に、照りつける日差しに、濃い影の中を踊る木漏れ日に、蝉時雨に、雨に濡れるアスファルトの匂い、風鈴の音色、塩素の臭い、降り注ぐ星空に……そんな色々なものに「夏」の影を追っている。存在しない筈の「夏」がつくる影を、決して辿り着けはしないことを知って、尚。


 腕時計を見ると、現実の仕事に戻らないとならない時間だった。すっかり汗をかいてしまったジュースを飲み干して、吸い殻を入れる。立ち上がって大きく一つ伸びをする。

 相も変わらず空は青く、雲は白く、太陽は高く、暑かった。

 ああ、夏だ。