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傘の不完全性について

 朝、ベランダに出ると外は予報通りの雨だった。室外機に腰かけて煙草に火をつける。こうして眺めている分には雨も風情があっていいけれど、出勤のことを考えると億劫でしかない。こんな日には、会社など行かず部屋で本を読んだり、映画を見たり、惰眠をむさぼったりして過ごすべきなのだ。間違っても外出などすべきではないし、まして仕事に行くなどもってのほかだ。昔の歌にあったように、『風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休み』するのが悪天候に臨む正しい態度ってものだろう。短くなった煙草を一つ吸って、灰皿代わりの空き缶に突っ込んだ。本当に休んでしまおうかな、と真剣に検討する程度には憂鬱だった。

 家から駅までの道すがら「雨の日最大の難点は何か?」について考える。結局、「傘を持たねばならないところ」といういつもと同じ結論に達した。この問い掛けは過去幾度となくされてきた問いだった。傘という道具自体は好きだけれど、傘を差して歩くのがどうしても好きになれない。正確には、傘を持つのが嫌なのだ。傘を持つよりなら濡れて歩く方がよいくらいに傘を持ちたくないのだけど、この後仕事があることを考えればその選択肢は選べなかった。

 電車に乗り込んでバックを開くと、読みかけの本を家に忘れきたようだった。シリーズものの一作目で、もう終盤に差し掛かっていたので買っておいた二作目をわざわざ鞄に入れたのだが、一作目がないのではどうしようもない。長い通勤時間を有意義に過ごすために欠かせないツールなのに。車内は雨のせいか混み合っていて、足に当たった誰かの傘でスラックスが濡れた。濡れた部分が足に張り付いて、冷たい。

 新宿で電車を乗り換える。普段なら必ず座れるのに、今日に限って座れなかった。車内の中ほどまではいって、吊革につかまる。目の前には中年の女性、自分から見てその左隣には女子高生が座っていた。女子高生はipodを握ったまま目を閉じて眠っているようだった。本も忘れたことだし、眠っているのをよいことに女子高生を観察する。閉じられた瞼から伸びる睫毛は恐らくつけ睫毛なのだろうけれど、パッと見では判断がつかなかった。つけ睫毛に抵抗感(抵抗も何も受容する機会がない)はないのだが、接着部の粗さが目立つ人は多い。つけまつげの質と使用者の技術的な問題なのだろうが、この女子高生はとても上手く接着していた。目を閉じた状態のそれを、よくよく観察して初めて接着部が分かるレベルだ。肌も妙にすべすべに見えるし、元々の肌が綺麗なのに加えて、メイクが上手いのもあるかもしれない。

 しばらくそんな風に女子高生を観察していると、彼女は本格的に舟をこぎ出して、自分の目の前に座る中年女性に寄り掛かるような格好になった。電車内では割とよく見かける光景だったが、中年女性は寄り掛かられるのがよほど気に食わないらしかった。露骨に顔をしかめて舌打ちをし、肩で女子高生を押し返す。けれど、往々にしてそういう場合、一瞬体勢を戻したその後結局また同じ状況になるのがお決まりのパターンだ。予想通り、女子高生は再び中年女性に寄り掛かっていった。中年女性は同じようにまた顔をしかめ、肩でもって女子高生を押し返す。目の前でそんなやりとりが何回か繰り返された。

 リピートされるそのやりとりを見ていると、だんだんと苛々が募った。苛々したのは「そんなに嫌ならちゃんと起こすなり、あきらめるなりすればいいのに」というのが四分の一くらいで、あとは単純に、目の前で露骨に顔をしかめて舌打ちをする様を延々と繰り返し見せつけられるのが不快だったからだ。それは、理不尽で身勝手な怒りだった。けれどそもそも、怒りというのはとてもパーソナルなものだ。パーソナルでない怒りなんてものは存在しない。周囲は込み合っていて、移動しようにも移動できない。結局中年女性と女子高生は新宿からの約30分間、そのやりとりを繰り返した。

 傘を差して小雨の中を会社に向かって歩く。駅から会社までは結構な距離があって、いくつかルートがあった。今日は一番遠周りで、一番人が少ない道を歩くことにした。途中、公園を通り抜けるその道が、比較的好きだったし、気分の問題で、余り人のいる道を通りたくなかった。

 公園はついこないだまで桜色に染まっていたのに、今は青々とした緑色に満ちていた。公園中に埋えられた桜の木の葉が雨に濡れて周囲に滲んでいる。しかし、こうして改めて桜の木を眺めると、咲かせる花に比べて幹は随分と無骨だ。黒々しく、節くれ立っていて、捻じれている。綺麗な桜の下には死体が埋まっている、なんて話が生まれたのは、この幹のせいなんじゃないだろうか。あの幹を見て何かしら不吉なもの感じる人があっても不思議ではない。こんな幹をした木が、あんなにも綺麗な花を咲かせるなんて……といった具合に。そんなことを考えながら、しばらくぼうっと立ち止まって桜の木を眺めていた。

 煙草を吸おうと内ポケットに手をやって、煙草を忘れたことに気付く。気付いて、急に倦怠感がどっと押し寄せてきた。今日の天気といい、小説を忘れたことといい、電車内の中年女性のあの露骨な顔といい、煙草を忘れたことといい、なんだか散々だ。ビニール傘を持つことすら面倒になって傘を閉じる。雨は小雨だったけれど、傘を閉じて歩くほどの弱さではなかった。きっと、会社に着くころには濡れてしまうだろう。けれど、それは世界に対するささやかな反抗だった。あまりにもささやかだけれど、そうしたくなるくらい、どうしようもない気分だったのだ。

 傘を一度閉じてしまうと、手に持っていることすら鬱陶しくなった。理不尽に、自分勝手に、色々なことに腹が立っていた。極めてパーソナルな、行き場のない怒りだ。手に持った傘を投げ捨ててしまうか、それとも叩き折ってしまおうかと思ったけれど、以前それをして酷く後悔したことを思い出してやめた。それに、そんなことをしても今の状況は何も改善しない。

 何も改善しない。建設的でない。理性的に。論理的に。うるせえな改善するとか建設的だとか理性的だとか論理的だとか知ったことかよ。

 感情的な自分が、理性的な自分に反駁する。けれど、結局やっぱり傘は投げ捨てなかったし、折りもしなかった。だって、傘は何も悪くない。

 昔、ネット上で「傘」と名乗っていたことがあった。その名を名乗りだしたことに深い意味はないけれど、傘という道具が好きだった。

 傘は随分昔から余り変化のない道具だ。昔は高級品だったらしいが(今も高級な傘はあるけれど)、ビニール傘の登場によって傘全体の地位は使い捨てで利用できるレベルにまで下がった。晴れの日には思い出されることもなく、雨の日にだけ必要とされ、使用者を濡らさぬよう自身で雨を受けるがすべてを防ぎきれる訳ではなく、使用者の片手を占有し、室内に入れば邪魔になり、天気が好転すれば忘れられたり捨てられる。多くの人は。傘以外で効果的に雨を防ぐ手立てが確立されていないから仕方なく傘をつかっているだけで、もしより効果的な手段(例えば持っているだけで雨粒が自分をよけてくれる装置とか)が発明されれば傘は割とすぐに廃れてしまうだろう。傘は「完璧」には程遠い道具だ。けれど、必要な道具だ。蔑ろにされても、忘れられても、捨てられても、不完全でも、必要とされる限り、傘は使用者を冷たい雨から守る。傘の、そういうところが好きだったし、嫌いでもあった。

 傘を差さずに右手に持ったまま桜の木を眺める自分の横を、傘を差した人が何人か通り過ぎる。腕時計を見ると、ずいぶんいい時間になっていた。そろそろ会社に向かわないと遅刻してしまう。

 小雨の中を歩きながら、忘れられ、捨てられる、沢山の傘を思った。