世界の終わり

 夕日が、世界を淡い橙に染める時間。

 空を燃やして、夜の暗闇が空にじわりじわりと染み始める頃。

 燃えるように輝く空の下で、世界が崩れていくのを眺めていた。

 風が吹くだけで、端から砂のように音も無く崩壊していくビル。

 アスファルトの道路が沈下する地盤に飲み込まれる。街灯や電柱、フェンス、諸々を巻き込んで、ゆっくりと地下へと沈んでいく。

 人の姿は見えない。

 人間が作り上げた人工物だけが、ただただ形を失くして崩れていく。それを創り上げた、人を抜きにして。

 僕はそうして、世界が崩れていくのを、眺めていた。

 人間は、地球にある人工物を全て無に帰すことを決め、地球を旅立った。それ以外にこの星の命をつなぐ方法がなかったからだ。

 人の技術がいかに優れていても、どんなに進化・発展を続けても、人は「自然を創る」ことはできなかった。やはり言葉の表すとおりに、「人工」とは「自然」の対義語でしかなかったのだ。それらしいものを創ることはできるのに、どうしても人が作り出すものは「人工」にしかなりえなかった。

 この星の命を守ろうと、世界中から、それぞれの分野の一流と言われる科学者が集められた。科学者達は自然を創りだそうと苦心するその一方で、自然と共存する為の技術の開発にこれまでの全てを注いだ。緑の量も、空気や水の綺麗さも、土壌の肥沃さも、何もかもが、以前と比べて格段に改善された。

 けれどそれも、星の命を削る速度を緩める程度の意味しか持たなかった。

 方向転換が遅すぎたのだ。もう、人間はこの星に決定的なダメージを与えてしまっていた。今から人間が何をしたところで、延命治療にしかならなかった。

 あるとき、科学者の中の一人が首を横に振った。

「もう、間に合わない。このままでは星が死んでしまう」

 その言葉に、そこにいた全ての科学者が作業をやめた。

 もう、随分前に解っていたことだった。そこに居たのは皆、一流の科学者だったのだから。けれど、一流であったからこそ諦められなかったのだ。

 彼らは地球を救おうと昼夜を問わず努力を重ねた。しかしもう、技術は打ち止めだった。速度を遅らせることはできても、回復させることはできない。そして同時に、今これ以上の負担をかけることは、星が自ら回復する力さえも奪うことになる。彼らはそれを、地球上に住むどの人間よりも理解していた。傍目には改善されていく地球の自然を見ると、どうしてもその事実を受け入れることができなかった。けれどもう、人が住んでいるというその事実が、地球の目に見えないところに負担を賭けてしまっているのだ。この星を旅立って、地球が自己回復するのを待つ以外に方法はなかった。それを、皆が知っていた。

 科学者たちは最後の開発を始めた。彼らが地球で行なう最後の開発は、苦しくも、彼らが、彼らの祖先からずっと創り上げてきた人工物をすべて無に帰し、自然へ還す装置の開発だった。地球環境の回復の為には、人工物を全て失くす必要があったのだ。

 自然を創ることはあれほど難しかったのに、失くす為のその装置の開発は驚くほど簡単だった。

 その装置の完成に、科学者達は涙を流した。喜びではなく、悔しさと後悔で。


 そうして、人は地球から旅立った。宇宙に作ったコロニーの中で、地球が回復するまでの時間を待つのだ。科学者たちが開発した最後の装置は、地球上に存在した人工物を、人類が地球から旅立ったその日の日没と同時に、消し去るようにセットされた。

 科学者たちは、そのコロニーへ向かうシャトルへ最後に乗り込んだ。自分達で、その装置のスイッチを入れるためだ。彼らは、その装置を前に誓った。

 「地球が回復し、また人が地球に戻るその時までに、必ず我々が、我々の子孫が、人と自然とが完全に共存できる道を見つけてみせる」

 シャトルが離陸する。人類が生まれ、育った星が少しづつ遠ざかっていく。人々はシャトルの窓から、シャトル内のモニターから、生まれた星をただ見つめ続けた。誰もが、一言も声を発さずに、固唾をのんで、そのモニターに映し出される映像を見つめた。

 崩れていく、世界の姿を。

 夕日が世界を照らして、東の空から夜が世界を覆い始めると、世界が音もなく崩れ始める。僕は、それを見ていた。


 もう、何度目かも解らない、世界の終わりを。


 その後の人類がどうなったのか、僕は知らない。なぜなら、彼らは地球には戻らなかったからだ。人工の増加の問題か、コロニーの技術的問題か、それとも意見の不一致か、長すぎる地球の回復の時間を待ちきれなかったのか、それは僕には分からない。とにかく、彼らは戻らなかった。

 それから気の遠くなるような時間の後、地球は完全に回復した。そして、その回復した地球で生まれたある猿が、少しづつ進化を遂げて人類が生まれた。彼らは驚くべき速さで進化し、生息範囲を広げ、地球の食物連鎖の頂点に立った。彼らは言葉を話し、知恵を身につけ、地球という星で生きた。自然に適応するのではなく、自然を適応させることで肉体的な弱さを克服した。しかし、結果として彼らは再び地球環境を傷つけ、それを悔い、努力を重ねた。けれど、地球を回復することはできなかった。そして、地球を旅立った。人工物を全て無に帰して。

 彼らもまた、地球には戻らなかった。

 その理由を、やはり僕は知らない。とにかく、彼らも戻らなかった。

 そして、気の遠くなるような時間の後、人類が消え回復した地球で、また人類が生まれた。そして彼らもまた、地球を旅立った。全ての人工物を消し去って。

 そうして、やはり、地球には戻らなかった。

 それから気の遠くなるような時間の後――――――――――――

 

 ――――――――世界が、音も無く崩れていく。

 とても哀しくて、とても美しいと思う。

 地球というゆりかごの中で、繰り返される世界の終わりと始まり。

 僕は、それを見ている。

 彼らがいつか、帰ってくることを願いながら。

 その環が、螺旋になることを信じながら。