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悪い方と同じだけ、いい方にも。

なんか思ったこと

 新宿で通り魔をする。そんな予告がされた*1らしい。少し前にもあった*2から、短い期間で2回目だ。

 予告日時は、2月11日21時。場所は新宿南口。まさに、さっきだ。これを書いている今の時刻は、23時過ぎ。今のところ、ニュースなどを見る限り、何も起こってないようだ。今日はきっともう大丈夫だろう。このまま何も起らないといい。


 前回の予告があった日、その情報はTwitterで知った。拡散希望とかでRTされてきたものだった(今回もTwitterで知った)。その日、帰りに新宿に寄って帰ろうと思っていたのだけど、それを見てやめた。無理にその日である必要はなかったし、行っても多分どこかで警戒心が強くなってしまって疲れそうだから。

 あの日、そうした人は他にもきっといただろう。twitterを少し検索しただけでも「新宿を避けた」というような発言をいくつかみつけることができる。

 今日、新宿南口を避けた人はどれくらいいるだろう。少なくとも自分は、今日新宿に行こうという話になったのだが、やめた。もしかしたら、を思ったからだ。

 予告が、予告通り実際に実行される蓋然性についてはなんとも言えない。どのくらいの数の犯行予告がネット上でなされていて、そのうちどれくらいが実行されているのか、ちらっと調べただけでは分からなかった。きっと、その可能性は低いのではないだろうか(根拠は示しようがないのだけど、多分予告通りに何らかの事件が起きていればもっと報道されているような気がするので)。けれど仮に、その確率がとても低かったとしても、今日新宿にいくことを避ける人はいただろう。その確率は低いのだ、どうせ今回もハッタリだろうと思いながらも、笑い飛ばせない部分がどこか、ある。

 なぜか。

 それは、知ってしまったからだ。日本の住む多くの人が、知っている。秋葉原でそれが起こったことを。だから、笑えない。避けてしまう。


 秋葉原無差別殺傷事件について知らない人は少ないだろう。あの事件をマスコミは大々的に報道したし、あの事件(とその報道)が社会に与えた影響は小さいとは思えない。(ちなみに、今なおあの事件の裁判は続いている)

 あの事件を「テロ」とは呼ばないのだろうけれど、あの事件(とその報道)が与えた影響の大きさを思い出すとき、社会に不安や恐怖を与えた、という意味でテロという言葉を思い出す。

 wikipediaの「テロ」の欄にこんな記述がある。

不特定多数の個人間、あるいは社会に介在する「合意」に対して物理力やある種の表現をもって介入し、衝撃をあたえることで混乱や狼狽を誘い、結果として明示的なり暗示的なりに約束されてきた合意事項を破綻させることを目的とする。生命や財産の継続性は社会契約の前提であり、これを遮断することによって合意の継続を困難にする手法である。

Wikipedia『テロリズム』

 この社会は「合意」で成り立っている。「信頼」と言い換えてもいいかもしれない。例えば道で誰かとすれ違うときに、いちいち警戒しないでごくごく普通にすれ違えるのは、「いきなり襲いかかってこない」という信頼があるからだ。毎朝乗車率100%越えの電車に乗れるのは「電車があんま事故らない」とか「乗ってる人が急に暴れ出さない」いう信頼があるからだ。そういう無意識の「信頼」や「合意」でこの社会は成り立っている。(まあ、無条件の「信頼」で「思考停止」になってしまってるものもあるけど、それはおいておく)

 けれど、「信頼」と「合意」が崩れることがある。例えばそれが、9.11だったり、地下鉄サリン事件だったり、営団日比谷線脱線衝突事故だったりする。それまで当たり前にあった「信頼」――「飛行機はビルに突っ込んでこない」、「日本でテロは起こらない」、「地下鉄は事故を起こさない」など――は、ほんのちょっとしたことで崩れてしまう。

 秋葉原の通り魔も同じだ。あの事件と、一連の報道は、そういう社会の「合意」や「信頼」を崩してしまった。歩行者天国の通りにトラックが突っ込み、降りてきたドライバーが無差別に人をナイフで襲う。インターネットの予告通りに。たった、一人で。

 それは全体から見ればほんの僅かな、特例なのだ。それは例外であって、当たり前ではないし、例外を気にしてしまったらきっと何一つできなくなってしまうだろう。

 けれど、それは理屈ではなく感情の問題なのだ。往々にして、「信頼」というものは理屈で結ばれるものではないからだ。飛行機事故よりも自動車の事故に遭う可能性の方が高いと解っていても、飛行機に乗るのを怖いと感じる人がいるように。

 秋葉原の事件は、まだ記憶に新しい。だから、今回のような「予告」に対して、(きっと必要以上に)身構えてしまうのだろう。それはきっと、どうしようもない部分なのだと思う。


 今日、雪の舞う新宿には普段より警察のパトロールが多かったそうだ。救急車も待機していた、というようなツイートも見かけた。有志の人たちによるパトロールも行われたらしい。

 少数の人間の書き込みによって、多くの人が影響を受ける。それは憂慮すべきことだし、だからこそ、そういう行為を許してはいけないだろう。けれど、それは全体から見たら少数で、そして、そういった行為によって揺さぶられた社会を守ってくれている人たちがいる。なのだとしたら、そういう方にも等しく目を向けたいな、と思う。

 恐怖に勝てるとは思えないし、悪い部分はどうしても目につきやすい。けれど、それでもこの社会で生きていくのだ。生きている限り。

 言うは易く行うは難し。けど、言うよね。易いのだから。

*1:予告.in『新宿駅バス乗り場付近での無差別殺人予告です。 〜』http://yokoku.in/detail?num=21639

*2:予告.in『新宿駅での通り魔予告です。 〜』http://yokoku.in/detail?num=21518