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「よつばと!」1〜10巻まで一気読みした感想

書籍

 もう今更感に溢れるのだけど、「よつばと!」を読んだのでその感想など。書きたいこと沢山あり過ぎて書き散らかしてしまったので読み辛いかもしんないけど、まあもはや仕様ですね。

 「よつばと!」について「知らない」という人はWikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%A4%E3%81%B0%E3%81%A8!)などを読むか、むしろ本編読んだらいいと思う。

 以下感想。

 この「よつばと!」という作品は、特定の「視点」の存在しない、「描写」でなりたっているなあ、と思う。

 今まで自分が読んできた作品の多くにはなんらかの「視点」が存在していた。それは「主張」と言い換えてもいいかもしんないんだけど。それは作者から読者へのメッセージみたいなものだ。作者が読者に伝えたいこと、描きたかったことみたいなもの。そういう「主張」が「視点」となって現れる。けれど、この「よつばと!」という作品からはその「主張」があんま感じられない。それは、この作品の「視点」が凄く俯瞰だから。よつばを中心とした周囲の世界が詳細に淡々と「描写」されている。そしてその「描写」がそのまんま「よつばと!」という漫画だ、と思う。

 そんな「描写」の中心には「よつば」がいる。よつばは五歳の女の子だ。でもよつばは普通の女の子じゃない。とーちゃん曰く、よつばは『無敵』の女の子だ。『どんなことでも楽しめる』、無敵の女の子。

 よつばの過ごす世界は、自分にとってはごくごくありふれたものだけれど「よつば」にとってはそうではない。よつばという五歳児にとっての世界は未知なものだらけだ。よつばはその未知なるものに、時に「完璧に」子供らしく、時に突拍子もない様々な反応をみせる。そして、よつばはそれを全力で楽しむ。完全に主観だけど、よつばの表情や動きや言動の一つ一つに、何も感じないってったら嘘だぜお兄さん。まじで。

 そして、そんなよつばの周りには、温かい人々がいる。

 この作品に登場するよつばの周囲の人々は、皆例外なくよつばを「拒まない」。それどころが基本ウェルカムな態度である。よつばは自分の感覚で見るとかなりむちゃくちゃなことをしていると思うのだけど、許容範囲がかなり広い。さらには小岩井家(よつばの家ね)にはかなりゴシップ要素がある。血の繋がっていない父娘、よつばの出自不明さ、毎日家にいるとーちゃん(翻訳家だが知られていない風)等々。けれど、周囲はそれも気にしない。よつばを邪険に扱わないし、よつばを蔑ろにしない。皆、よつばを受容し、その特異な存在を完全に肯定する。

 そういう周囲の人たちに囲まれて、よつばは自由に世界を冒険する。その目で、耳で、口で、鼻で、肌で、世界を感じ、小さな体全てを使って反応する。成長する。よつばの驚きや、感動や、悲しみ、痛み、喜び、楽しみと、それを見る周囲の人々と、ありふれた世界。そんな「よつばと!の世界」を、作者は「描写」し、読者に提示する。

 そう、それは提示だ。そこにはあらかじめ用意された主張は見えない。だから、「よつばと!の世界」をどう眺めようとそれは読者の自由だ。もともと用意された「視点」がないので、読者はこの「よつばと!」の世界を自分の「視点」で好きに眺めることができる。だから、この作品には「懐かしさ」があるし、「再発見」があるし、「新発見」がある。世界を眺める人それぞれの視点によって見え方はきっと変わるだろう。

 こんな作品今まで見たことなかったので本当びっくりした。あと、これを書いている作者が一体どんな人なんだろうってすごい気になる。この人の描写の緻密さってとんでもない。作者の頭の中には現実と同じ程度の強度でもって、この「よつばと!」の世界が存在して、そこで登場人物が生きているんじゃないかと思うくらいだ。びびる。

 で、そういうのも含めて、よつばとめっちゃ面白かった。よつばの表情や動きににやにやしながら、時には声出して笑いながら読んだ。周囲の人たちの温かさやキャラの濃さに感嘆しつつ、純粋に提示される世界をきらきらしたものとしてすんごい楽しんだ。自分の視点で。

 でも、だからこそ同時に悲しかった。あの世界がどうしようもなく輝いて自分の眼に写るから。

 ツイッターに書いたんだけど、こんだけ長々書いといて、一番書きたかったのここ。

 上に、よつばの周囲の人たちはよつばを拒まない、と書いた。よつばの世界はよつばを取り巻く「よつばを拒まない」人たちだけで構成されている。よつばを取り巻く世界の中には、「よつば」を否定する、拒む人間はいない。よつばに対する「嫌な感情」は、皆無だ。注意深くそれらが「取り除かれている」ように感じる。周到に、徹底的に。

 それは多分、「よつばと!」が「よつばと!」であるための必須条件だ。よつばという女の子が「拒まれる」世界では、あの作品は成立しない。あの作品は、周囲の人々が、よつばを完全に受容し、肯定しているからこそ成立しているように思える。

 考えてみると、よつばには「受容されないかもしれない」要素がかなりある。そもそもよつばは日本人であるかが分からない。よつばには血の繋がった両親がいない。よつばには血のつながらない父親しかないない。よつばは少し(かなり)変わっている。そして、現実の世界は、そんなに「寛容」じゃない。もしも現実によつばがいたら、きっとあの「よつば」ではなくなってしまうだろう。『なんでも楽しめるよつば』は、周囲の人間なしには成立しない。

 よつばは、作者によって創作された「あの世界」の中でしか生きられないんじゃないか。他のキャラクターにはこんな思いを抱かないのだけど、唯一「よつば」だけは、あの世界においてしか存在を許されないように、自分には思えてしまう。

 完璧に構築されたあの「悪意」のない世界で、よつばは怒って泣いて笑って楽しんでいて、皆が温かくて、その世界はとても優しくて、だから、凄く悲しい。


 まあ、そういうんさっぴいて、純粋に楽しいからあの漫画好きだけどね。風香妙にエロいし。でも好きなタイプはあさぎさん。