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「東京の夜景は残業でできている」けれど、その夜景をみる彼女はもういない。

※『以下本題』ってところからが本文です。それまでただのぼやきなので飛ばして問題ないです(2010.11.18追記)

 一回書いたんだけど記事全部消えて今凄いテンション低い。すごい。でもここで引き下がったら何かに負ける気がするからも一回書く。ああ、保存してなかった私が悪いことは分かっております。ですけれども。ですけれども。

 というかだな、つい最近も仕事で、いや、それは消えたわけではないのだけど、2万字とかいうボリューミーなドキュメントがOneからRemakeせねばならないという事態になっていてだね。まあ、それ書いてて結構勉強になったからそれは別に構わんのだけれども、構わんのですけれども、これだけで終わらないのが人生というものでして、家帰って書きかけのSSのファイル開いたらどうやらアタイ、こないだ書いてた分保存しないで閉じてたらしいんだね。アホ過ぎるよね、いや、もうアホとかじゃなくホアだよね。いやいや、ホアなんて言葉知らんけど、アホよりアホそうだよね、響きが。まあそのテキストの更新分てのは大した量じゃなくて、文字数にして恐らく800文字とかその程度くらいの更新だったから、まあいいっちゃいいのですけれども、ですけれども、言いたいでしょ、お前はどんだけうんこおしっこなのかと。ないし、おしっこうんこなのかと。でも、おしっこはいいけどうんこはちょっと受け入れられないよ、AV的な意味で。そういえば大学時代、友人がおしっこ好きすぎて黄金水SPみたいなAV借りたって言ってたの思い出した。ひたすらに様々なスタイルでの女子の放尿シーンが延々と続くらしい。ああ、人間の性のなんと深遠であることよ。

 極めてどうでもいい。しかし、思ったことただ打つとことごとく句点減るね。

 ということで、おしっこのお陰で気分が晴れてきたから本題に入る。誤解されかねん発言。ていうかこの後読んでももうおしっこしか残らないのでは。

 以下本題。

 こないだツイッタちゃんのTLにRTされてこんな言葉が流れてきた。

「東京の夜景は残業でできている」
8:38 PM Jul 27th kotoba_botから
http://twitter.com/kotoba_bot/status/19649822205

 上手い表現だな、と思った。確かに東京のビルの明かりは、残業する人たちの為に灯されている明かりだ。全てがそうでないにしても、その割合は都心部であればかなり高いだろう。たった一言で「お?」と思わせる力がある言葉ってのは確かにあって、これもそういうのの一つだと思う。だからこそこれ100人以上にRTされたんだろう。シンプルでインパクトがあって余白がある。

 出典が気になったので調べてみる。そういや、kotoba_botは一貫して出典を書かないけどなんか信念でもあるのでしょうか。個人的には書いてくれたら嬉しいなーと思うのだけども。不明なもんは不明でいいからさ。まあそれは今どうでもいい。

 検索したら結構すぐに見つかった。どうやらその言葉の大元は飯島愛のものであるようだ。情熱大陸という番組の中で、彼女の発言した言葉の一部。折角なのでその一連の言葉はないだろうかともうちょい調べる。で、見つけたのがこれ。

『悔しいことがあると無性に東京の夜景が見たくなる。なんかほら…残業してる人たちで夜景が成り立ってるでしょ。それがなんか『東京』って感じがするの。車とか残業がなくなると、夜景じゃなくなっちゃう』

飯島愛 情熱大陸より
http://jounetsu.cocolog-nifty.com/plusp/2010/06/post-4870.html

 読んでああ、成程、そういう風に考えてたのか。と頷いてしまった。

 初めてツイッターでkotoba_botの方を見たときに抱いた印象は、ポジティブな感情を伴ったものではなかった。「あんなに綺麗な夜景だけれども……」というような逆説の言葉を無意識に補って読んでいた。恐らくそれは、自分の残業に対する考え方に起因するのだと思う。個人的に、残業はゼロで済むのならそれが望ましい。当然、残業代の分給料が減るのだけど、その手取りのマイナスよりも、早く帰って自分の好きなことに時間を使いたいという思いの方が強い。だから、どうしてもプラス感情を伴う印象を抱きづらかったのだと思う。「夜景という綺麗なもの」の対比として映ったから。

 けれど、飯島愛の「東京の夜景は残業で〜」という言葉には比較的ポジティブな印象を抱いた。なぜなら、飯島愛にとっては、「残業でできている」ことこそに価値があるからだ。飯島愛がその夜景を見て何を感じていたのかは解らないけれど、『残業している人』――つまりは、そこで今なお頑張っている人――を夜景の中に見て、感情を慰撫されていたのだろう。もしかしたら、それに「私だけじゃない」と元気をもらっていたのかもしれない。……そう思うと、東京の夜景は〜というそれは少しだけポジティブに映る。それは自分の中にはない考え方だった。

 そんなことをつらつら考えていたら、なんかふつふつと、静かに、感情が湧いてきた。それはとても微弱で、言葉にするなら多分「寂しい」か「虚しい」が近い。けれど、そのどちらとも少し違う。とにかく、それらと似た感じのものが、自分の中に生まれた。

 今は便宜的にそれを「寂しい」と呼ぶけど、何が寂しいかって、そこにもう「飯島愛」がいないことだ。

 kotoba_botが呟いた言葉は、飯島愛の発言から『東京の夜景は残業でできている』という部分を抜き出したものだ。それは「東京の夜景」を別の角度からとらえ直した言葉だ。それは確かに飯島愛の視点ではある。けれど、飯島愛の話の主題はその先だ。『東京の夜景は残業でできている』という言葉の先にこそ、飯島愛の言いたい事はあったのではないか。だとすれば、kotoba_botの言葉に「飯島愛」はもういない。悔しい時、きっと一人で夜景の向こうにいる「誰か」を求めた彼女は、そこに不在なのだ。

 そして、彼女不在の、彼女の言葉が拡散していく。当然それは、善いとか悪いとかではないし、そういうもんなのだし、どうしようもないことだ。けど、そういうもんだからこそ、とても静かに「寂しい」し「虚しい」。

 とか、思ってた土曜の夜。

 余談
 結局書き直すのにすげえ時間かかった。やっぱりその時だからこそ書ける言葉ってのがあるわな。土曜の俺は間違いなく俺なのだけど、やはり土曜の俺と、これを書き直す俺は別だよ。一瞬一瞬、その時その時にしか表現できないものが、やっぱりある。