もっと評価されるべき

 『自分の口癖三つ思い浮かぶ人はいらっしゃいますか?思い浮かぶ人は手を上げて下さい』

 自分が新入社員であったころ、新人研修で外部講師がそんな質問をした。言葉に従って手をあげた。三つ思い浮かぶからだ。特に何も考えずに手をあげた。多分、しっかり考えていたらあげなかった。

 手をあげて回りを窺うと、なんと自分しか手があがらなかった。約400名ほどの受講者の中、自分だけだ。流石にそんなことになるとは思っていなかった。よくよく考えれば口癖三つなんてすぐに思い浮かぶ人間が多い訳が無い。「しまった」と思った時には、壇上のマダム(なんたらカウンセラーとか言ってた)はにこやかな顔で自分を見ていた。

 まったく、我ながらとんだ失態だ。

 「あら、凄い。おひとりいらっしゃいますね。これが思い浮かぶ人は自分をちゃんとよく見つめて自分を知っている人です」

 マダムは全体に向けてそんな根拠のなさそうな説明をして、言った。

「あの彼にマイク渡してもらってもいいかしら」

 すると、どこからともなくマイクが自分のところへと回ってきた。ここまできたらもう言うしかない。

 ああ、面倒臭い。

 パイプ椅子から立ち上がって、会社名と名を名乗った。

「はいネムイさんですね。三つの口癖、教えて頂いてもいいかしら」

 ……いいかしら、じゃねえよマダム。この状況で嫌ですとか言えるわけないだろ。

 たかだか口癖くらいいじゃないか、と思うかもしれないが、その口癖自体が問題なのだ。こと、この新人研修中に言うには。何せ口癖は「眠い」、「だるい」、「面倒臭い」である。これに付け加えていいなら「疲れた」とか「うぜえ」だ。このビジネスソルジャー養成の為の厳しい新人研修でそんな発言が推奨されるとはとても思えない。(日常でも推奨されてないし、人間としてどうなのか、 といった突っ込みは受け付けない)

 しかし、もう手遅れだ。言うしかない。

 はい、と返事をして口を開く。

「眠い、だるい、面倒臭い、です」

 どっと笑いが起きた。この雰囲気の中その返答は予想外だろうし、なんとなく語感もいいしね。(声に出して読んでみると小気味いい感じ)

 けれど(というよりも当然か)マダムは「まあっ」といった表情になったあと、苦笑いのような顔を浮かべた。まあそりゃそうだ。この後このミセス・カウンセラーが何を言うかも想像がついている。「ネガティブな口癖はそういう結果を引きよるせうんぬんかんぬん」といったところだろう。そんなん今更解りきっている。

 そして予想通りマダムは、ネガティブな口癖と、ポジティブな口癖についての説明を一通り始めた。さらにはネガティブな発言は周囲にも悪影響がー、とかなんとか。もう少しポジティブな口癖にするよう気をつけて下さいとお決まりの注意をして、マダムは本題の自己認識についての話題へと戻っていった。

 これはある種の公開処刑だな。ないし、ネムイの研修への献身的犠牲。ちょっとした小話の為の好例だったわけだ。悪い方の。ネムイはもっと評価されるてしかるべきだ。

 ――当然、「言葉にそういった効果はない」とは言わないし、個人的にはむしろ、言葉にはやはりそういった効果があると思っている。やはりネガティブな発言ばかり目立つ人間は、ネガティブな結果を引き寄せることもあるように思うし、そういった言葉が周囲に良い影響を与えないのは想像に難くない。

 言葉は思考に影響を与える、というのはその通りだろう。本心ではそう思っていなくても、ひたすらにポジティブワードを繰り返せば、心が言葉に引っ張られることは大いにある。その逆も、また然りである。とすればそれは周囲、つまり他者に対してもそうだろうし。

 ただ、言葉にひっぱられるというそれだけが原因と言う訳ではなく、そういった思考に基づいて行動が選択されるがゆえに、そうなりやすい、というようなこともありそうだ。(それは特に調べた訳ではないからソースは示せないが、おそらくそういった調査結果はどこかにあるだろう。調べる気はない)
解りやすく言えば、「自分はだめだ」と思ってやる人間はたいていだめだし、「自分ならできる」と思ってやる人間のほうが上手くいく、というような。前者はだめになることを前提に行動し、後者は上手くいくように行動するのだから、まあそうなりやすいだろう。

 だから、嫌だったのだ。自分のネガティブな口癖がいい評価を受けないことなど解りきっていたし、それを言ったあとにお決まりの説明とありがたい注意を受けるのも予想できる。

 面白くない予想通りに進む退屈な結末を待つだけの映画なんて誰が見たいんだ?全くもって『面倒』な話だった。


 会社面倒臭えなああああ、と思った時に、ふとそんな過去のことを思い出した。

 未だに口癖は当時のままだ。眠いもんは眠いし、だるいもんはだるいし、面倒臭いもんは面倒臭い。基本的に自分は怠惰な人間なのだ。

 けれど、勘違いしないで欲しい。

 確かに怠惰だし、面倒臭いことが嫌いだ。けれどだからこそ、面倒臭いことは積極的に引き受けるのだ。なぜなら、面倒を放置すると、あとあともっと面倒になることが多いからだ。面倒を避けるために面倒を引き受ける――真の面倒臭がリストとはそういうものだ。

 おわかりだろうか、怠惰で面倒臭がりの人間ほど、面倒を引き受けるというこの一見矛盾した真実が。ぱっと聞き、面倒臭がりや、怠惰、というと負のイメージが付きまとうだろう。けれど上辺の真実に騙されないで欲しい。怠惰で面倒臭がりな言葉の裏に隠れた、いじらしい一面に気付いてほしい。

 つまり、単純にネムイはツンデレなのだ。面倒臭いと言いつつやっちゃうのだ。しょうがないな、とかは言わない。面倒臭いなーと言いながらやる。

 そういう可愛いらしく、愛すべき一面を世界はもっと評価して欲しい。
 





 いや……どう考えても可愛くねえな。